丹後の地名プラス

そら知らなんだ

志楽と阿良須
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -2-)


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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。

志楽


志楽(しらく)は舞鶴市の東部にある地名。旧村名(志楽村)を冠した志楽小学校がある。和名抄の加佐郡志楽郷の地、遅くとも奈良時代にはあった地名で、今は普通はシラクと読まれている。
志楽は、設楽(『丹後旧事記』、白楽(『丹後国加佐郡寺社町在旧記』「平城宮跡出土木簡」)とも記されることもある。師楽(しらく)式製塩土器の出る岡山県牛窓町設楽は師楽とも記されている。
表記する漢字よりも先に何らかの地名があり、その発音に、これらのいろいろな漢字をムリに当てたものと思われる。漢字より先にあった地名はたぶんシラでなかろうか、近くに白糸の地名があるので、シラと呼ばれる地名があり、それに地名は好字二字の原則に則り、こうした漢字を当てたものであろうか。東舞鶴湾を枯木(からき)浦と呼んでいたので、新羅、加羅系の人々の地であったものと思われる。

小倉上空から東向き。だいたい今の志楽地区の中心が写っている。

当地だけで、ない史料をひっくり返して考えていても有力な手かがりが得られない、他の地を見ていくより手はない。

武蔵国新羅郡の志楽郷
『続日本紀』
天平宝字二年(758)八月(○癸亥(二十四日)、帰化した新羅の僧卅二人、尼二人、男十九人、女廿一人を武蔵国の閑地に移す。是に始めて新羅郡を置く。
とあるが、この新羅郡は和名抄の時代(10世紀中)になると新座郡となっている。
新座郡は小さな郡で志楽(志木・志末)郷と余戸郷だけであった。今の埼玉県新座市のあたりという。
『大日本地名辞書』に、
新座(ニヒクラ・シンザ)郡
国郡沿革考云、新座郡は古の新羅(シラギ)郡なり、延喜式、新座に改む、初め「天平宝字二年八月、帰化新羅僧三十二人、尼二人、男十九人、女二十一人、移武蔵国閑地、於是始置新羅郡焉」「宝亀十一年五月、武蔵国新羅郡人、沙良真熊等二人、賜姓広岡造」按、新羅改称の事、史に見えず、然れども和名抄新座郡二郷、志木(シラギ)、余戸あり、今白子村土人シラクと唱ふ、即志木の地にして、新羅の遺名なり、或曰、志木蓋志楽の誤ならん、木楽の草書、頗相似たればなり、…
 松山巡覧志云、新座村白子宿、土人はシラクといふ、
古の新羅郡なり、類聚往来の武蔵国郡名の所に、新座郡となくて、新羅とあり、是は何によりて記せしや、古書になき事を、わづかに此書を以て証となしがたし、只後世の書に出たるが珍しければしるすのみ、但ししひて説をいはゞ、新座は新羅の転たるにや、さらば新座と書たるより、文字につきてにひくらと唱しか。○今按、新羅を新座と改められしは、高麗を高倉と改められしと同例にて、続紀、姓氏録に高麗氏を高倉に改められしこと見ゆ。


志楽(シラギ)郷 和名抄、新座郡志木郷。高山寺本、志末郷。
○今按、志木、志末は共に楽字を草体に書せる者、末に近似し、木に近似するを以て、魯魚焉馬の誤を招ける也。即今の膝折村新倉村、白子村の辺にて、豊島郡に近接する方ならん。
新風土記云、志木郷は五音の相通なれば、シラキと云ふを、中略してシキとせるならん、此説牽合に似たれど、そのかみ郡内多くは未開の地なれば、其所在は実に白子宿の辺なるべし。
補【志木郷】 新座郡○和名抄郡郷考、志木、今按、志木は志羅木なりしを二字にしたるか、郡名の新座も新羅の転り、新羅郡の事上に続紀を引で云り、又持統紀元年夏四月筑築太宰献投化新羅僧百姓男女二十二人、居于武蔵国、賦田受稟、使生業。続紀天平宝字四年四月置帰化新羅一百三十一人於武蔵国とありて、郷名も郡名も是より出たるなるべし、又宝亀十一年五月武蔵国新羅人沙良真熊等二人云々ともあり、○行嚢抄、江戸板橋の出口より川越城下に趣く道に四楽、根利間より二里、或は白子とも云、四とある四楽はシラクまた白子とも云はシラコにてシラクもシラコも皆シラキの転訛なり。


シラコもシラクも皆シラキの転訛なり。という。
漢字の草体というのは、漢字を極限にまで略したものなので、まずフツーでは読めない、「安以宇衣於」の草体がひらかなの「あいうえお」であるが、草体だけを見て、元の漢字がわかる人がどれだけいるだろう、「達人」の手になる略体なので、書き手によって、略し方が違う。自己満足のゲージュツの世界で、読み手もよほどの達人でもなければ読めないのである。

志楽郷の東の隅、若狭との境に吉坂(きっさか)という所があり、当地は阿良須神社の元の鎮座地とも伝わり、今も白鬚神社が祀られている。

白鬚神社は舞鶴にもけっこう見られるが、白鬚もまたシラキの転訛で、新羅神社にほかならないといわれる。
柳田国男「石神問答」にも、
白日は寧ろ新羅、斯盧と由ありげに候 白髭明紳は新羅神なるべく候へば 白日白髭の語似たるも昔ゆかしく候…


アラス


志楽に鎮座の阿良須神社

国道27号の脇、冨留宮(ふるみや)神社の境内地に鎮座。冨留宮は古宮のことなのか、フル(村、火)のことなのか、この社名も謎めいている。
「神社旧辞録」に、
小字布留は古のお旅所と云ふが「フル」とは「クシフル」とか「ソフル」などでも判るとおり韓語の首邑との意であって新羅来(シラキ)に縁由するのではなかろうか。
筆者の岡野允氏は元々は当地一帯の中世山城研究の草分けである、コツコツと歩いて実地を見、現地で人に尋ね、古今の書に当たる方法である、郷土古代史でも当時の教科書水準クリアなのは舞鶴ではこの文くらいである、しかし手書きの書で、一冊しかないのではなかろうか、まず市民の目には届かない。ケチつける気はないが、ソフルは日本の古地名の場合は一般に新羅の別称と見た方がいいのではなかろうか、首都の今の慶州をソラボル、ソフルと言ったところから新羅もソフルともいう。クシフルのクは大の意味の美称で大ソフルのことのよう、大新羅というよりも、さらに古く新羅以前からのソ族の聖地の地名のようである。ソは新羅も含むがかの地の民族名の自称といわれ、フルは村の意味、古代日本語でも村をフレと呼んでいる。軽村(かるのふれ)磐余村(いわれのふれ)などと紀にもある。ソやシは新羅と言うかもっと広く朝鮮(チョソン)のソであろう。
小倉の阿良須神社は、ノボリにあるようにも、「志楽庄春日部村正一位一宮大明神」と「豊受皇阿良須神社」と二通の名があったが、明治36年に阿良須神社と社名を改めたという。志楽庄の総鎮守。元の鎮座地が大地震で青葉山崩壊し神跡を失い、柳原の大森に再建と伝う。柳原は田中村中にあったが、慶長五年田辺城が大阪方の軍勢に攻められたとき、神殿並に宝蔵その他悉皆兵火に罹り焼失した。細川忠興は正税を奉納して小倉村布留山を神域と定め仮神殿を造営して遷座式を奉行したという。
志楽郷各村の惣鎮守で、志楽庄一宮大森社とも唱えた。私が小学生の頃の遠足の行き先で、その頃は「一宮神社」との名の方が通り名になっていたようである。


山背国葛野郡歌荒樔田
アラスという名はずいぶんと古い名と思われる。
『日本書紀』
顕宗三年の春二月の丁巳の朔に、阿閉臣事代、命を銜けて、出でて任那に使す。是に月神、人に著りて謂りて曰はく、「我が祖高皇産霊、預ひて天地を鎔造せる功有します。民地を以ちて、我が月神に奉れ。若し請の依に我に献らば、福慶あらむ」とのたまふ。事代、是に由りて、京に還りて具に奏し、奉るに歌荒樔田を以ちてす。(歌荒樔田は、山背国葛野郡に在り)。壱伎県主の先祖押見宿禰、祠に侍へまつる。

葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすた)」という地名が出てくる。今の右京区宇多野、嵐山、有栖(ありす)川、松尾大社がある一帯のかなり広い範囲のようで、名の知れた観光大名所になっている。紀のこの社が葛野坐月読神社である。月読神もまた渡来の神のような記しかたである、浦島太郎さんはこの神の後裔といい、その後裔氏族もまた渡来氏ということになろうか。月神を祀るのはずいぶんと古い氏族と思われ、豊受も月神のような神格を持つといわれ、日神系氏族よりも古いとも言われる。

♪京都嵐山(らんざん) 大覚寺 恋に疲れた 女が一人…
その嵐山(あらしやま)はアラス山が転訛したものとも言う。
太奏(うずまさ)も含まれ秦氏の拠点として知られる地。秦氏は新羅・伽耶からの渡来氏で、だいたいは天日槍の後継集団とされる。秦氏以前からこの地方で日槍人が繁栄していたのではなかろうか、そこにアラスがある。
アラスは(あら)すの意味と国学者風の解釈もあるが、日本語で説くというのも場違いの感がある。渡来人の地の地名であり、渡来語で考えるのがよいのではなかろうか。

京丹後市大宮町周枳(すき)の字アラス
周枳に鎮座の大宮売神社(名神大社)の北側に荒須(あらす)山、アラスという字名がある。荒須山城があり、荒須帯刀という城主がいたが、細川勢に討ち滅ぼされた。
また荒塩(あらしお)神社がある。「丹後国風土記」逸文奈具社条に「(老父老婦の惨酷な仕打ちを恨んだ天女が)我が心、荒塩に異なることなしといへり、仍りて比治の里の荒塩の村と云ふ」と見える。「荒塩の村」の比定地は峰山町久次かともいうし、「丹後旧事記」は、峰山町荒山が荒塩村の遺名であるとしているが、この社の付近かも知れない。豊宇加能売・豊受の古くからの信仰圏であったと思われる。
スキという村で、天智2年(663)の白村(はくすき)江の戦いのスキで、かの地の言葉がそのまま村名になっているものと思われる。そうした地にアラスがある。
『丹後旧事記』には、
阿良須神社。小倉村。…当国周枳村より将軍旦波道主命うつし奉る。
とあって、それが本当ならずいぶんと古く、志楽と周枳は関係深いようである。

福知山市大江町北有路(ありじ)の阿良須神社(たぶん式内社。十倉(とくら)明神ともいう)。有栖明神とも書いたようである。
有路は加佐郡有道郷で、高山寺本に「安里知」の訓がある。
何ともわかりやすいところになるが、有道は阿利叱智(アリシチ)のシもチも敬称で、一つが落ちたものと思われる。阿良須神社境内に古墳があって、たぶんその被葬者が阿利叱智さん、彼を祀る社が阿良須神社、彼の領地が有道なのであろう。
『青銅の神の足跡』
阿智という人名は阿利叱智の叱が省かれて阿利智となり、さらに阿智となったものと推定される。角鹿阿羅斯等の阿羅斯等も阿利叱智と同語であるといわれる。


薩摩国鹿児島郡在次郷。在次はアラスキと読むようで、今の鹿児島市内にあったようだが、詳細は不明。

こうした例からアラス・アリスは天日槍の残した名であろうと推測し、たぶんその族長名・阿利叱智、阿羅斯等の転訛であろうかと考えるのである。




『舞鶴の民話』
黄金水のふしぎ(吉坂)
 青葉山をみながら吉坂がら東へ歩を運ぶ、松尾寺への石塔のたっている所を一前方に見ながら南側に鳥居がある。白ひげ神社の神額がががっている。それをくぐって南へといく、畑が左右につづいている。
 「おばあさん、このお宮さんに池がありませんか」 「このあたりには川が二つありますがね、池はありませんがね」とねぎを植えながらこたえる。
 「たしかむかしの記録では清らかな水のわきでる池があったと書いてあるのですが」
 「私幼いころからここに育ったのですがな、そんなものはありませんでしたがな」
 「おばあさんおいくつになられたのですか」 「私かね、八十三才ですがな、もうおむがえがくるのとちがいますか」 「まだまだですよ」
 この奥の白髪神社の神殿にいく、おばあさんの話では、毎日当番がきまっていて清掃することになっているが、この頃動めに出ている人が多くて、忘れる人がほとんどということだ。本当に草ぼうぼうで大きな木がたおれてそのままになっている。大きな木がたくさんあるが、この森を神並の森というのだ。たしかに横に小さい巾だが清流が流れている。池はないかと探したが見当らない。記録によると小池があり、その湧き出ている水を黄泉水といった。中世のころ唖者の若い人が、この水はご利益があるいい水だと聞かされていた。お宮さんにお参りした。森の中から鳥がないているらしく、時たま姿をみせる。一口この水を飲んだ、あまく冷たい、ごくとのどを通るのがわがる。何がそのあたりがざわざわと音がする。鳥が「チョン、チョン」ときこえる。自分で「チョン」というと「チョン」ときこえる。こんな音がきこえたのははじめてだ。「おかあさん」というと「おかあさん」と聞こえる。耳もきこえるし、言葉もいえる。若者は何が何だがわがらないが、うれしさにとんで家にかえった。
年老いた母が、裏庭で草とりをしていた。
 「おっかさん」と呼んだが振りむがない。大きな口をあけて「おかあさん」といった。
母は驚いたように若者を見た。「お前口がきけるのか?」 「あゝおかあさん」二人はだきあってよろこんだ。息子にいままでの話をきき、再びつれだって白髪神社にお礼参りをした。
 その後この話をきいて、口の不自由な人、耳のきこえない人がたえまなくお参りし、この黄泉水をいただいたという。
 この池を黄泉池というようになった。今はこの池はなくなった。手でさわると冷たい清らがな小川が森の中をながれている。.


垂仁の物言わぬ皇子、誉津別命の物語を彷彿する伝説である。金属系氏族と何か繋がりがある地かも知れない。



音の玉手箱 精神に翼をあたえ、想像力に高揚を授ける、音の宝石

הבאנו שלום עליכם:Hevenu Shalom Alechem:ヘベヌ シャーロン アレヘム



私たちをして、平和を、あなたたちに
という曲、これも正月にふさわしいかと思ったが、FM局のライブラリーになく、ここで紹介。詳しくは
Hevenu Shalom Alechem





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