丹後の地名プラス

そら知らなんだ

浦島伝説
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -23-)


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そら知らなんだ ふるさと丹後
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少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。


浦島太郎のおとぎ話


浦島太郎の物語
知らぬ者もない、古くからの伝説である。伝説というか、原伝説を元にした、子供向けのおとぎ話である。



子供の頃に、誰もが聞いた覚えのあるハナシで、人によっては、学校か幼稚園でそんな芝居をした記憶がある方もあろうか、特に説明の必要もないが、フツーに知られるあらすじでは、
亀を助けた報恩として浦島太郎は海中に連れて行かれ、そこの龍宮で乙姫らの饗応を受ける。帰郷しようとした浦島太郎は、「開けてはならない」と念を押された玉手箱を渡される。帰り着いた故郷では、龍宮で過ごしたと感じたより遥かに長い年月が過ぎており、ひとりポツネンとたたずまざるを得なかった。失意と寂しさのあまりに、開けてはならない玉手箱を開けてしまう。そうすると浦島太郎は、たちまち白髪の老人と化した。
というもの。これはだいたいは、かなり最近の「御伽草子」や「国定教科書」「文部省唱歌」の内容に近いものである。時代が下るにつれて、伝説は劣化し退嬰化し、バケモノじみたエログロ話になってくる傾向があるが、まだそうはなっていないところは、救われる気持ちになる。

水ノ江の浦嶼子の伝説


おとぎ話の元となった伝説は、丹後に幸いにも古い形が残されている。

伊根町本庄浜。筒川の河口部。橋は常世橋、浜は常世浜。
丹後の浦島伝説は網野町にも伝わるが、当ページでは伊根町の伝説のみを取り上げる。

『丹後国風土記』(岩波古典文学大系本)には、
浦嶼子
丹後(たにはのみちのしり)の國の風土記に()はく、與謝(よさ)(こほり)日置(ひおき)(さと)。此の里に筒川(つつかは)の村あり。(ここ)人夫(たみ)日下部首等(くさかべのおびとら)先祖(とほつおや)の名を筒川の嶼子(しまこ)()ひき。爲人(ひととなり)姿容秀美(すがたうるは)しく、風流(みやび)なること(たぐひ)なかりき。()()はゆる水の江の浦嶼(うらしま)の子といふ者なり。()は、(もと)宰伊預部(みこともちいよべ)馬養(うまかひ)(むらじ)が記せるに相乖(あひそむ)くことなし。(かれ)略所由之旨(おほよそことのよし)()べつ。長谷(はつせ)の朝倉の宮に御宇(あめのしたしろ)しめしし天皇(すめらみこと)御世(みよ)、嶼子、(ひとり)小船に乘りて海中(うみなか)(うか)び出でて釣するに、三日三夜を()るも、一つの(うを)だに得ず、(すには)五色(いついろ)の龜を得たり。心に奇異(あやし)と思ひて船の中に置きて、(やが)()るに、(たちま)婦人(をみな)()りぬ。其の容美麗(かたちうるは)しく、更比(またたぐ)ふべきものなかりき。嶼子、問ひけらく、「人宅遥遠(ひとざとはるか)にして、海庭(うみには)人乏(ひとな)し。イズレの人か(たちまち)に來つる」といへば、女娘(をとめ)微咲(ほほゑ)みて(こた)へけらく、「風流之士(みやびを)獨蒼海(ひとりうみ)(うか)べり。(した)しく(かた)らはむおもひに()へず、風雲(かぜくも)就來(むたき)つ」といひき。嶼子、復問(またと)ひけらく、「風雲は(いづれ)の處よりか來つる」といへば、女娘(をとめ)答へけらく、「天上(あめ)(ひじり)(いへ)の人なり。()ふらくは、君、な疑ひそ。相談(あひかた)らひて(うつく)しみたまへ」といひき。ここに、嶼子、神女(かむをとめ)なることを知りて、(つつし)()ぢて心に疑ひき。女娘(をとめ)、語りけらく、「賤妾(やつこ)(こころ)は、天地(あめつと)(を)へ、日月と極まらむとおもふ。(ただ)、君は奈何(いかに)か、(すむや)けく許不(いなせ)(こころ)()らむ」といひき。嶼子、答へけらく、「更に言ふところなし。何ぞ(おこた)らむや」といひき。女娘曰(をとめい)ひけらく、「君、(さを)(めぐ)らして蓬山(とこよのくに)()かさね」といひければ、嶼子、()きて()かむとするに、女娘、(をし)へて目を眠らしめき。(すなは)不意(とき)の間に海中(うみなか)(ひろ)く大きなる嶋に至りき。其の(つち)は玉を敷けるが如し。闕臺(うてな)?映(かげくら)く、樓堂(たかどの)玲瓏(てりかがや)きて、目に見ざりしところ、耳に聞かざりしところなり。手を(たづさ)へて(おもぶる)に行きて、一つの(おほ)きなる(いへ)(かど)に到りき。女娘、「君、(しま)此處(ここ)に立ちませ」と曰ひて、門を開きて内に入りき。(すなは)ち七たりの竪子(わらは)來て、相語(あひかた)りて「()龜比賣(かめひめ)(をひと)なり」と曰ひき。亦、八たりの竪子來て、相語りて「是は龜比賣の夫なり」と曰ひき。(ここ)に、女娘が名の龜比賣なることを知りき。(すなは)ち女娘出で來ければ、嶼子、竪子等が事を語るに、女娘の曰ひけらく、「其の七たりの竪子は昴星(すばる)なり。其の八たりの竪子は畢星(あめふり)なり。君、な(あやし)みそ」といひて、(すなは)ち前立ちて引導(みちび)き、内に進み入りき。女娘の父母(かぞいろ)、共に相迎へ、(をろが)みて坐定(ゐしづま)りき。ここに、人間(ひとのよ)仙都(とこよ)との(わかち)稱説()き、人と神と(たまさか)に會へる(よろこ)びを談議(かた)る。(すなは)ち、百品(ももしな)の芳しき(あぢはひ)(すす)め、兄弟姉妹等(はらからたち)(さかづき)を擧げて献酬(とりかは)し、隣の里の幼女等(わらはども)(にのほ)の顔して(たはぶ)()る。(とこよ)哥寥亮(うたまさやか)に、神の?逶迤(まひもこやか)にして、其の歡宴(うたげ)を爲すこと、人間(ひとのよ)万倍(よろづまさ)れりき。(ここ)に、日の暮るることを知らず、(ただ)黄昏(くれがた)の時、群仙侶等(とこよひとたち)漸々(やくやく)退(まか)(ちら)け、(やがて)て女娘獨留(ひとりとど)まりき。肩を(なら)べ、袖を(まじ)へ、夫婦之理(みとのまぐはひ)()しき。時に、嶼子、舊俗(もとつくに)(わす)れて仙都(とこよ)に遊ぶこと、既に三歳(みとせ)()りぬ。(たちまち)(くに)(おも)ふ心を起し、(ひとり)二親(かぞいろ)を戀ふ。(かれ)吟哀繁(かなしびしげ)(おこ)り、嗟嘆(なげき)日に益しき。女娘、問ひけらく、「比來(このごろ)君夫(きみ)(かほばせ)を觀るに、常時(つね)に異なり。願はくは其の(こころばへ)を聞かむ」といへば、嶼子、(こた)對へけらく、「古人(いにしへびと)の言へらくは、少人(おとれるもの)(くに)(おも)ひ、死ぬる狐は(をか)(かしら)とす、といへることあり。(やつがれ)虚談(そらごと)(おも)へりしに、今は(これ)(まこと)(しか)なり」といひき。女娘、問ひけらく、「君、歸らむと(おもは)すや」といへば、嶼子、答へけらく、「僕、近き親故(むつま)じき(くにひと)を離れて、遠き神仙(とこよ)(くに)に入りぬ。戀ひ(した)()へず、(すなは)ち輕しき(おもひ)を申べつ。(ねが)はくは、(しま)本俗(もとつくに)(かへ)りて、二親(かぞいろ)を拜み奉らむ」といひき。女娘、涙を(のご)ひて、(なげ)きて曰ひけらく、「(こころ)は金石に等しく、共に万歳(よろづとし)(ちぎ)りしに、何ぞ郷里(ふるさと)(した)ひて、()(わす)るること一時(たちまち)なる」といひて、(すなは)相携(あひたづさ)へて徘徊(たちもとほ)り、相談(あひかたら)ひて(なげ)き哀しみき。(つい)(たもと)(ひるが)へして退(まか)り去りて岐路(わかれぢ)()きき。ここに、女娘の父母と親族(うから)と、(ただ)、別を悲しみて送りき。女娘、玉匣(たまくしげ)を取りて嶼子に授けて謂ひけらく、「君、(つひ)賤妾(やつこ)(わす)れずして、眷尋(かへりみたづ)ねむとならば、堅く(くしげ)()りて、(ゆめ)、な開き見たまひそ」といひき。(やが)て相分れて船に乘る。(すなは)ち教へて目を眠らしめき。(たちま)本土(もとつくに)の筒川の(さと)に到りき。(すなは)村邑(むらざと)瞻眺(ながむ)るに、人と物と(うつ)(かは)りて、更に()るところなし。(ここ)に、郷人に問ひけらく、「水の江の浦嶼の子の家人は、今何處(いづく)にかある」ととふに、郷人答へけらく、「君は何處(いづこ)の人なればか、舊遠(むかし)の人を問ふぞ。()が聞きつらくは、古老等(ふるおきなたち)の相傳へて曰へらく、先世(さきつよ)に水の江の浦嶼の子といふものありき。獨蒼海(ひとりうみ)に遊びて、復還(またかへ)り來ず。今、三百餘歳(みももとせあまり)を經つといへり。何ぞ(たちまち)に此を問ふや」といひき。(すなは)()てし心を(いだ)きて郷里(さと)(めぐ)れども(ひとり)の親しきものにも會はずして、(すで)旬日(とをか)()ぎき。(すなは)ち、玉匣を撫でて神女(かむをとめ)感思(した)ひき。ここに、嶼子、(さき)の日の(ちぎり)を忘れ、(たちまち)に玉匣を開きければ、(すなは)(めにみ)ざる間に、芳蘭(かぐは)しき(すがた)、風雲に(したが)ひて蒼天(あめ)翩飛(とびか)けりき。嶼子、(すなは)期要(ちぎり)乖違(たが)ひて、(また)(ふたた)び會ひ難きことを知り、(かしら)を廻らして踟?(たたず)み、涙に(むせ)びて徘徊(たちもとほ)りき。ここに、涙を(のご)ひて(うた)ひしく、
 常世べに 雲たちわたる
 水の江の 浦嶋の子が
 
言持(ことも)ちわたる。
神女、
(はるか)に芳しき(こゑ)を飛ばして、哥ひしく、
 大和べに 風吹きあげて
 雲
(ばな)れ 退()(を)りともよ
 
()を忘らすな。
嶼子、
(また)戀望(こひのおもひ)()へずして哥ひしく、
 子らに戀ひ 朝戸を開き
 吾が居れば 常世の濱の
 浪の
音聞(とき)こゆ。
(のち)()の人、追ひ加へて哥ひしく、
 水の江の 浦嶋の子が
 玉匣 開けずありせば
 またも会はましを。
 常世べに 雲立ちわたる
 たゆまくも はつかまどひし
 我ぞ悲しき。

『日本書紀』雄略二十二年条
七月に、丹波國(たにはのくに)餘社郡(よざのこほり)管川(つつかは)の人瑞江浦嶋子(みずのえのうらしまのこ)、舟に乘りて釣す。(つい)に大龜を得たり。便(たちまち)(をとめ)化爲()る。(ここ)に、浦嶋子、(たけ)りて()にす。相逐(あひしたが)ひて海に入る。蓬莱山(とこよのくに)に到りて、仙衆(ひじり)(めぐ)()る。(こと)は、別卷(ことまき)()り。


筒川河口(常世浜)↑

浦島太郎も乙姫様も竜宮城も玉手箱もない。ワレラが知っているつもりの物語ではないが、これが元々の伝説であった。元々というか元々により近い物語である。
筒川の嶼子。筒川は今の浦神社の裏を流れている川、この上流に筒川村が昭和29年まであった。「嶼子(しまこ)」は、『魏志倭人伝』の伊都国や奴国の長官、あるいは副官の称号と似たものであろう、筒川の首長といった意味のよう。
「水の江」は「(みず)の江」のことで、「瑞」というのは「瑞穂」などいう、めでたい、めでたいしるし、などの意味。若々しく、生き生きとしていること、新しく清らかなこと。他の語の上に付けて、みずみずしい、清らか、美しいなどの意を添える言葉である。
丹後の浜辺は「常世辺」「常世浜」なので、伊根町ばかりでなく、だいたい皆そのように「瑞ノ江」だと見られていたようである。


乙姫は亀比売といい、「天上(ひじり)(いへ)の人なり」と名乗っている。海の底の竜宮城の姫ではなく、天上界の神仙の国の姫。星のお姫様である。げに物語には7つ星のスバル(プレアデス星団、おうし座の散開星団)や8つ星の畢星(おうし座のε、48番、δ、γ、α、θ1、71番、λの8つの星)が登場するので、天上界の星の王女様と見られ、そこへ嶼子は行きムコさんになった。
もともとはそうなのだろう、7月7日が、浦神社の祭日であり、「浦嶋子は人皇二十一代雄略天皇の御宇二十二年(四七八)七月七日に、美婦に誘われ常世の国に行き、その後三百有年を経て五三代淳和天皇天長二年(八二五)に帰って来た。」と同社の案内にある。7月7日と深く縁がある。7月7日は、タナバタ、星祭の日である。もともとは星の世界へ嶼子は行ったのであろう。

浦神社の社殿は北向きである。これは宮司さんのお話によれば、北極星を向いていのだそうで、星の世界、あるいはその中心星に対する信仰があるものと思われる。中国の道教、星宿思想から北極星を神格化したものであろうか。
浦神社の祭神は、浦嶋子(浦嶋太郎)で、相殿に月読神、祓戸大神を祀る。社殿の向きから見て、元々の祭神は北極星なのであろう。浦島太郎は月読尊の苗裔にして日下部の祖と伝わる。だから元々は浦島太郎は北極星の眷族、苗裔なのであろう。
月読神を祀るのは丹後では当社だけだともいうが、そんなことはない舞鶴吉原や久美浜町甲山の水無月神社が祀っているし、綾部市十根の水無月神社もそうである。ともあれ月の国・ヨミの国と、その出入口の神様で、太陽神とは別の系統の神であり、氏族のようである。実の所、太陽神信仰すらよくわからないことばかりなので、北極星や月読神や祓戸神の信仰ともなれば、さらにわからない。
日子坐王系の丹後王国は元々は北向き、西向きの社なのではなかろうか。竹野神社や衆良神社などは、そちらを向いている。星の世界のハナシは中国文化に通じていた伊予部馬養が、もともと現地の伝説になかったらもかかわらず、彼の豊かな中国知識で付け加えたのではないかと見る向きもあるが、社殿が北向き、嶼子は月読神の裔というのだから、遣唐使、遣隋使や仏教や馬養よりも古くから中国文化の流入と定着がすでにあったものかも知れない。
なお、祓戸大神は、伊邪那岐尊が、伊邪那美尊の黄泉国から帰って、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊祓給ひし時に生り坐せる大神とされる。瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、祓戸大神とすることもある。罪や穢れや害虫などのありがたくないものも黄泉国(常世国)から来るものとされていて、その出入口で禊をして、オマエラは生まれた国へ帰れと送り祓いをしたということの意味のようである。祓戸大神は黄泉国(常世国)の出入口にいる神ということであろう。


トコヨ(仙都、蓬莱山、常世)国の信仰
風土記では、星の国ヘ行ったはずの嶼子の話はいつのまにか、トヨコの国ヘ行ったことになっている。月星の世界は中国的で、暦などはそれに従っているが、ワレラ一般にはなじみが薄い、そこで月星の国は日本古来の常世国へといれ替わって語られる。
常世の国は、古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異界。理想郷として観想され、永久不変や不老不死、若返りなどと結び付けられた、日本神話の他界観をあらわす代表的な概念で、古事記、日本書紀、万葉集、風土記などの記述にその顕れがある。「海のはるか彼方の理想郷」は、沖縄における海の彼方の他界「ニライカナイ」にも通じる。
この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはない。この世を現世(うつしよ)という、移り変わる世界で、諸行無常、うつし世は、はかない、誰であっても百年とは生きることはできない。(私が生まれた頃の日本人の平均寿命は男50歳、女54歳)。ワレラは皆、風に舞うチリのような、チッポケな今日の命すらも風次第の、土ぼこりか紙くずのようなものにすぎない。
「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ…」(平安末)
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ」(平家物語、鎌倉末)。
これらは仏教観といわれるが、それもあるだろうが、もともと日本も含めて古くからの東洋思想であろう。世界をしっかり観察して得た、ただ者ではない哲学者もマッサオな、ものすごい哲学だと思うが、現世をこのようにとらえていてこそ、常世を理想郷として意識したと思われる。
常世は現世とは違い永久不変、不老不死の世界である、その国は海の彼方、海の底というよりも、水平線の彼方にあるとされていた。

常世の時間の進み方は、現世の時間の進み方とは異なる。常世の一日は、現世では百年にもなる。三日過ごしたはずが、現世では三百年が流れていた。故郷は様変わりし、親しい人達の姿はなく、見知らぬ人ばかり。これはまたどうした事かと、嶼子が櫛笥を開くと、「鳥辺野の煙」のごとき嶼子の命も絶える、とする悲劇の幕は降りる。


浦島伝説は日本全国各地に伝わる

『龍宮にいちばん近い丹後』(伴とし子著)の挿図より↑
関敬吾著『日本昔話大成』

海幸彦・山幸彦の物語などバリエーションはたくさん見られが、何も日本国内だけには限らず、似ている伝説は世界的に分布する。ネット上に紹介されているものを少し拾ってみると…

洞庭湖の龍女
昔、若い漁夫が、ある乙女を助けたところ、その乙女は、実は竜女だった。彼女の招待で、漁夫は洞庭湖の湖底にある竜宮城に行くことができた。漁夫は、竜宮城で湖の生き物たちに歓待され、ついには竜女と結婚して幸せに暮らした。楽しい日々が続いたが、漁夫はふと、故郷の母親を思い出し、故郷に帰りたいと言うと、竜女は「私に会いたくなったら、いつでもこの箱に向かって私の名を呼びなさい。でも、この手箱を開けてはいけません」と言って、宝の手箱を渡した。
漁夫が故郷に帰ってきてみると、村の様子はすっかり変わり、自分の家は無く、村人たちも知らない人ばかりだった。村の年寄りに聞くと、「子供の頃に聞いた話だが、この辺りに、出て行ったきり帰らぬせがれを待つ婆様が住んでいたということだが、もうとうの昔に亡くなったということじゃ」と言われた。気が動転した漁夫は、竜女に説明を求めようと、思わず手箱を開けてしまった。すると、一筋の白い煙が立ち上がり、若かった漁夫は白髪の老人に変わり、湖のほとりにばったりと倒れて死んだ。

ヨーロッパの果てに残る「浦島太郎」に似た神話とは
ケルト神話
主役のオシーンとフィアナの騎士たちが森で狩りをしていると、突然西のほうから白い馬に乗った乙女が現れる。常若の国の王の娘、金髪のニアヴと名乗り、オシーンを常若の国へ誘う。
 そこでは何日も素晴らしい祝宴が続き、オシーンは3年間常若の国で過ごす。父や友人に会いたくなったオシーンは、そのことをニアヴに話すと「決して白馬から降りないで下さい。あなたの足が土に触れたら、もう二度と私のところへは帰れないのです」と告げられる。オシーンは決して馬から降りないと約束し、常若の国をあとにするが、途中で両足を地面につけてしまう。その途端、目はかすみ、若さは消え、全身から力が抜け、しわくちゃの老人になってしまうのだった。

まだまだあることは確実、世界中から発掘され紹介されることであろう。

浦島太郎を祭る浦島神社


浦神社の秘宝。室町時代のものが伝えられている。

「亀甲紋櫛笥」(室町時代)↑ 「浦嶋明神縁起絵巻掛幅」(室町時代)↓



浦神社の祭礼。
古くは7月7日だが、近頃は周辺の村々と共同で本庄祭として行われる、一月遅れにして、それに近い土日である、一番暑い頃である。↓

本庄祭

当社の春の例祭としては延年祭がある。

目を見張るような能の演技が奉納される。
延年祭


浦島太郎を祀る神社

『郷土と美術』(1984.6)に、
古代丹後逍遙/浦島伝説と羽衣伝説の謎(第二章)  小牧進三
  浦の嶋子を祀る神社は、
(1)同社をはじめとし
(2)与謝郡加悦町字虫本(式内大虫神社合祀) 床浦神社
(3)竹野郡網野町字網野の大同元(八○六)日下部嶋根保重神主とみえる 式内 網野神社
(4)同町浅茂川 川口の明神岡 島児神社
(5)同町下岡の六神社(島子とその一族)
(6)竹野郡丹後町字宇川上野 浦島五社
(7)加佐郡大江町河守 浦島神社(筒明神)
(8)福知山市字戸田 浦島神社(月読尊)
(9)綾部市字下延町 浦島神社
(10) 〃 字奥黒谷 浦島神社
(11)兵庫県朝来郡山東町粟鹿(粟鹿大明神摂社) 床浦神社
 と広範囲な神社分布の中に浦の島子は永劫の未来へと命脈している。

とあげられている。
このリストには見落としもあるようで、私が知る範囲を付け加えれば、…

(12)天田郡夜久野町今西小字小田垣の三柱神社の末社に床浦神社
床浦は常浦で常世浦の意味なのかも…

(参考)網野町島津の式内社・床尾神社
『丹後旧事記』に、床尾神社。竹野郡島村。祭神=天酒大明神 豊宇賀能売命。とあり、そういうことであるならば、この社も常世神社なのかも知れない…

(13)舞鶴溝尻の貴布祢神社の境内社に浦島神社がある。

貴布祢神社参道右手に境内社が並ぶ、手前から2社目が浦島神社。当社の裏山に妙見社があるそうだが、妙見菩薩は北極星を神格化したもの、特に眼病に霊験ありという。浦島社の後輩になるものか。市場八幡神社には乙姫神社があるし、浮島には羽衣伝説が伝わる。当社は正月にはワラで鬼をつくり祀ったという。異界に近い社であり地のようである。

(14)丹後一宮・籠神社

境内にある「倭宿禰像」。一目見れば当社は浦島太郎と関係がありそうだの推測がすぐ生まれる。
社務所で販売されている『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』(海部光彦編著。昭和63年発行)(同じ書名で、同じ編著者でも版によって記述がことなるよう)には、
祭神について、養老元年(717)以前は、彦火火出見が主神とされたが、其後彦火明命が主神と祭られた、とある。彦火火出見は山幸彦のことで、瓊瓊杵と木花咲耶姫の子であり、神武の祖父になる。

本殿の向かって右手に「恵美須〔彦火火出見命〕之社」がある、この社↑について、
末社 蛭子神社 之の社は恵美須神社とも云い、彦火火出見命と事代主命を祭る。彦火火出見命は別名を浦島太郎と云うとも伝え、共に龍宮へ行かれたとの伝が一致している。依って當社は元伊勢根本宮と云われると共に、元浦嶋大神宮とも伝えられている。
案内板には「恵美須神社 御祭神 彦火火出見命 倭宿禰命 由緒 大化以前の籠宮の元神であり、主祭神であったと伝えられる。」
籠神社は古くは浦島太郎を主祭神としていた、ともとれるハナシで、浦島神社とは深い関係があったと思われる。

これらの社は産鉄鍜冶精錬に長けた日下部氏がその居住地、産業地に祀ったものであろうか。

(参考)
浦島神社と関係が深そうな、水無月神社とナグ・ナキ・ナコなどの神社について、他

奥丹最大の夏祭りといわれる浅茂川水無月神社の川裾祭(7/30)の様子↑
町中のケガレやヨゴレやツミ、悪病や災禍、そうした禍々しい物々を浜辺に立てられた神棚のようなもの(瀬織津姫を祀るものであろうか)から常世国に送り返したあとに、乙姫様と浦島太郎が海中から迎えられる。近くの島子神社との合同祭というから、こうなったものか、それとも元々から関係があったものか。
汚穢を祓うという行事は、町を綺麗にするとか、病気が多いときに備えて衛生健康とかの人間の都合上のものではなかった、元々は神を迎えるための、前段階の行事であったものかも知れない。土地が祓い浄められ、人々が潔斎をすませた後に、はじめて神が迎えられた。その神は海の彼方から訪れる「乙姫様」であり、それを案内する人間の「浦島太郎」であった。
神が迎えられる日は7/7。ソソギ、潔斎はその少し前から行われた。そうした推測に行き着いてしまうのである。
神がおられる時は、そこは神の国であり、本来の意味の神国であって、人間界も神の支配下にあって、人間の勝手な決まりは適用されない、国家も法もない、まったくの自然な、人間の元初状態、悪く言えば無政府、無法状態になる…さてどうしたことになるやら…放送はムリ

水無月神社は舞鶴吉原にもあるが祭神は月読神。日月星神とするところ(美浜町早瀬)もある。
島子神社は奈古神社とも呼ばれ、また「室尾山観音寺神名帳」「竹野郡五十八前」の「正四位下 嶋奈岐明神」でなかろうかと思われる。


浦島伝説は羽衣伝説、豊受神との関係が指摘される。
前掲「郷土と美術83(1984.6)」で、小牧氏によって浦島と羽衣には何か関係があるのでないかの指摘がなされている。
風土記で浦の鳴子がトコヨの国へと赴むいたのは長谷朝倉の宮(雄略)のみ代であったと漠然とした年代をのべるに対し「日本書紀」によると、それは雄略二十二年(四七八)秋七月のできごとであったと唐突として嶋子のトコヨ行きの年月を明示することである。
さらに伊勢神宮の秘伝とされた「神道五部書」の一書「倭姫命世紀」にも雄略二十二年七月七日にかかわる一文がみいだせる。同書によると雄略二十二年秋七月七日、丹波国与佐の小見の比沼之魚井原で丹波道主の裔(子孫)の八乙女が祀っていた止由気(豊受)の大神を天照大神の御饌都の神とし丹後から伊勢の国(山田ヶ原)に迎えたと告げている。
 すると雄略二十二年秋七月は、日下部の首のとおつ祖浦の嶋子と、丹波道主(日下部の遠祖日子坐の子)の裔八乙女と両者がなぜか「日下部」という一本のきづなで結ばれ偶然の一致と一蹴できない謎に突きあたる。
「日本書紀」はなぜ嶋子のトコヨ行きを雄略二十二年七月の条に記し、豊受大神の伊勢遷宮の日が同年七月七日となぜ定ったのか、日本書記がそれを覆い隠そうとする深い謎が新たに生まれる。


おもしろいゾクゾクさせられる所になってくるが、その後この説の発展は見られない。
むつかしい文献をさておいても、7月7日が祭日というだけでも、ただならぬ深い関係が推測される。ウソだろうとたいていの人は思うだろうが、浦島伝説は天羽衣、即ち豊宇加能売命(=豊受大神)と元々は同じ一つのものであったのだろうの推測である。
次ページを参照。









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 精神に翼をあたえ、創造力に高揚を授ける、音の宝石


Дорогой Длинною  Those Were The Days






Романс "Дорогой длинною" в исполнении группы #Лад (#RussianFolkRock) - YouTube
Дорогой длинною dorogoy dlinnoyu - YouTube
In Tune Sessions: Roby Lakatos Ensemble plays Those Were the Days (Dorogoi Dlinnoyu) - YouTube
«Ну-ка, все вместе!». Выпуск 8. Нана Муштакова - «Дорогой длинною» | All Together Now! - YouTube
Славич и Юлия - Дорогой длинною - "Музыкальная гавань" Элеоноры Филиной - YouTube
Дорогой длинною - YouTube
Дорогой длинною - Andre Rieu & Anna Reker - YouTube
【和訳済】長き道を(悲しき天使)/ Дорогой длинною - YouTube


:ロシア語の歌詞は、ロシア文学の血筋をひくものか、文学としてはスンバラシイのだろうが、チトとわかりにくい。意訳された英語版の方が、はかない無常感がピンとくるかも…
悲しき天使 [日本語訳・英詞付き] メリー・ホプキン - YouTube

日本語版でも多少の無常感が漂う。スクスク育っている若い人向けの歌ではない。人生の挫折頓挫経験ゆたかなそこそこの年配者向けかも
悲しき天使 森山良子 1968 - YouTube

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