丹後の地名プラス

そら知らなんだ

拝師(速石)郷(丹後国与謝郡)②
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -46-)


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そら知らなんだ ふるさと丹後
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田邊・田造郷①
田邊・田造郷②
拝師(速石)郷(丹後国与謝郡)①
拝師(速石)郷(丹後国与謝郡)②
民族大移動の跡か!?
鳥取①







『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。



ハヤシの意味

地名には意味があるもので、意味がない地名はないが、意味が不明ということは、その地名ができた当時の歴史が不明ということである。林があったとか、囃子だとか、そうした意味があるハヤシ地名もあるかも知れないが、古代の地名ともなると、そうした非歴史的な解釈ではすまないもので、そうは甘くはないのが普通である。
拝師神社の地であったから拝師郷となったと思われるが、その拝師にはどうした意味があったものであろうか。
幸いにも拝師郷は各地にたくさんあるので、どこかで解いてくれれば、すべてかわかることになるのだが、どうも各地とも解けてはいないようである。拝師サンの多いのは京都府、埼玉県、滋賀県であるそうで、京都で解いてみたいものである。

播磨国揖保郡林田郷


林田郷(播磨国揖保郡)(訓注・波也之多)がある。今の姫路市の北西部で林田町林田である。町中を林田川が流れている。
『播磨国風土記揖保郡』に、
林田の里〔本の名は談奈志(いはなし)なり。〕土は中の下なり。談奈志と稱ふ所以は、伊和の大神、國占めましし時、御志(みしるし)を此處に植てたまふに、逐に楡(いはなし)の樹生ひき。故、名を談奈志と稱ふ。
林田とはイワナシだと明確に書かれている。林田の田はタンボのことというよりもトコロの意味で場所を示す接尾辞のようなもので、たいした意味はない。だからハヤシとはイワナシの転訛だとわかる。イワナシとは磐穴師(いわあなし)の意味とすれば、何とも意外なハナシである。
林田川には佐見川という支流もある、サビで鉄でなかろうか。林田里から林田川を10キロばかり遡ってみると、そこは宍粟郡安富町になり、風土記によれば、宍禾郡穴師(あなし)里とあるところになる。
『和名抄』の安志郷(播磨国宍粟郡)(訓注はない)で、安志はアナシとかアシと読まれているが、川の名も穴師川に変わるそうである。そして今は安志の集落がある。安志はアンジと今は呼んでいるが、元々はアナシである。
アナシ・アナゼは北西の風をそう呼ぶこともある、丹後でいうウラニシだが、そうではなく、当地のアナシは穴師(あなし)鉄穴師(かなあなし)のことである。
アナシは職業病として目だけでなく、タタラを踏むために足も痛める、そのため痛背とか痛足、病足とも書かれるし、所によっては穴石とも書かれる。

穴師


若狭小浜にも式内社の阿奈志神社(奈古)があり、阿納尻(あのじり)という海浜の集落がある。この集落は古くは阿奈志と書いた。元々はアナシという集落名だったが、アナシを漢字で阿納尻と書くようになり、次はその漢字をアノジリと読み、やがて地名もアノジリと呼ばれるようになったものと思われる。
大和にも穴師坐兵主神社」(名神大社)があり、丹後とはかかわり深いように思われる。
日葉酢媛の嫁いだ垂仁天皇の宮(皇居)は、『日本書紀』は纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)、『古事記』は師木玉垣宮(しきのたまかきのみや)。その伝承地は桜井市穴師で、穴師坐兵主神社の西1㎞ばかりのところである。

穴石(あなし)神社が、野田川町四辻にある。

「室尾山観音寺神名帳」の「与謝郡六十八前」に、
従二位 阿梨明神
と見える古社であろうが、どうしたことか各誌などには当社の詳細記載がない。
現地の案内板には、
穴石神社由緒
祭神 大山祗神(山を司り給う神)
神徳 心願成就・災厄削除・家内安全
当社の創建は不詳なれど元亀三年(一五七二年)に書写された丹後の国神名帳伝本に阿梨明神と記載されており、相当古くから存在した神社であることは明かである。明和六年天保十二年再建の棟札が現存し、明治十九年に鳥居が再建されている。
伝説
往古上山田尾崎の辺りに古沼があり、大蛇が棲み里人を困らせていた。そこで少名彦命が大蛇を退治したところ、その尾尻から刀剣が出、その刀剣を祀ったのが彌刀神社であり、少名彦命は苦無神社に、蛇体は穴石神社に祀ったと言う。
例祭 九月第一日曜日    平成八年三月吉日  宮司謹書
穴石(穴師)から野田川の下流側にはさらに苦無(くなし)神社(クラアナシ)、拝師(はやし)郷(イワナシ←イワアナシ)、高梨(たかなし)(タカアナシ)などの地名や神社があり、これらのボス的な神社ではなかろうか。

高梨


高梨は伊根町亀島の地名である、伊根湾の入口の南にある。

高梨は与保呂のところで、すでに実は取り上げ説明したのだが、最初の頃だったため資料には残っていないので、もう一度取り上げると、林田里の下流側10㎞ばかりの東側にある、今の姫路市勝原区(よろ)。当地を風土記は與富等(よふど)と記している、RとDはよく互転する語なので、ヨフドとはヨボロことであろう、今は丁と書くのだからたぶんそうしたことでなかろうか。
『播磨国風土記』に、
上筥岡(かみはこおか)・下筥岡・魚戸津(なへつ)朸田(あふこだ) 宇治の天皇のみ世、宇治連等が遠租、兄太加奈志(えたかなし)弟太加奈志(おとたかなし)の二人、大田の村の與富等(よふと)の地を請ひて、田を()(たねま)かむと来る時、廝人(つかひひと)(あふこ)を以ちて、食の具等の物を荷ひき。ここに、朸折れて荷落ちき。この所以に、奈閇(なべ)落ちし處は、即ち魚戸津と號け、前の筥落ちし處は、即ち上筥岡と名づけ、後の筥落ちし處は、即ち下筥岡といひ、荷の朸落ちし處は、即ち朸田といふ。
大田の里 土は中の土なり。大田と稱ふ所以は、昔、呉の(すぐり)、韓國より度ひ來て、始め、紀伊の國名草の郡の大田の村に到りき。其の後、分れ來て、攝津の國三嶋の賀美の郡の大田の村に移り到りき。其が又、揖保の郡の大田の村に遷り來けり。是は、本の紀伊の國の大田を以ちて名と爲すなり。
岩波古典文学大系本の頭注には
「タカナシの名は林田里の旧名イハナシと関係があるか。林田里は太田川の上流、大田村はその下流で、八-一〇粁の距離にある。」としていて、眼光スルドイ、しかし太田川でなく林田川でなかろうか。大田は丁のすぐ北になる。

兄太加奈志(えたかなし)弟太加奈志(おとたかなし)の「太加奈志」と記されているが、たいていは今は高梨と書くようである。タカナシは高穴師だと吉野裕氏は述べる。
「古代における鉄と地名と」(『東アジアの古代文化13号』)
いったい太加奈志とは何ものであったか。これについて角川文庫『風土記』の註は「琉球方言の敬称の接尾語カナシの類か」と苦しい解釈をしているが、じつはこれは〈夕力穴師〉のことだろうと私は思う。これは語中に同一母韻が二つ重なると互いに吸着して一つになるという古代国語に一般的な発音上の性質かおることを考えると、タカナシばtaka Anasiの結合体と推定されるからだが、これは要するにほんらい〈高穴師〉とよばれる穴師のことであった。そしてこの連中の天秤棒が折れた大家里は、北から流れてくる林田川が揖保川と合流する付近にある。こうした場所は上流の砂鉄が停滞して堆積される可能性があるが、高穴師はここで稼働したらしい。ところがここからすこし北へよるとそこは林田里である。この林田里は『風土記』には「本の名は談奈志なり」とあるが、これらおそらくは〈磐穴師〉が原形で、やはり穴師の分派が住んでいたと思われる。そこでもう少し北上するとそこは宍粟郡の安師の里であり。林田川はそこでは安師川とよばれるのである。
タカアナシのタカは彼らの自称だろうと言う。アリラン系の名であり、渡来系の人々であろう。タカナシとヨホロは何か関係があるようなハナシである。
播磨国と同様の配置が丹後でも見られる。拝師と高梨、穴石、苦無、与保呂は何か関係があるのか、それも呉というから、高句麗系の渡来人でなかろうか、と推測できそうである。

磐梨


『和名抄』備前国に
磐梨(いわなす)石生(いわなす)郷が見える。伊波奈須・以波奈須の訓注があるが、イワナシと読むのが本来であろう。今の岡山市の北東に赤磐市のあるあたりである。
当地の豪族に磐梨別公(いわなしのわけのきみ)氏がある。和気清麻呂も元は磐梨別公である。
『新撰姓氏録抄』に、
右京皇別下。和気朝臣。
 垂仁天皇皇子鐸石別(ぬでしわけ)命之後也。神功皇后征伐新羅凱帰。明年車駕還都。于時忍熊別皇子等。竊搆逆謀。於明石境。備兵待之。皇后鑑識。遣弟彦王於針間吉備境。造関防之。所謂和気関是也。太平之後。録の駕勲。酬以封地。仍被吉備磐梨(いわなし)。始家之焉。光仁天皇宝亀五年。改賜和気朝臣姓也。続日本紀合。

日葉酢媛の妹に渟葉田瓊入媛、彼女と垂仁の子が鐸石別命で、その裔がこの地の磐梨氏という、後に改名して和気氏ともなり、後裔に和気清麻呂などがいる。
鐸石別命は丹波道主命の孫になることになる。丹後とも関係がありそうに思われる。

石生郷の「石生」は本来はイワナシと読むのであるが、イソウとも読める。氷上郡石生郷はイソウとかイソ読むが、本当はイワナシなのかも知れない。
そうとする天橋立の磯清水のイソがまたしても気になる。もしかするとイワアナシの清水だったかも知れない。
与謝郡式内社・阿知江イソ(石偏に山)部神社がある。「室尾山観音寺神名帳」の与謝郡、従二位磯部明神であろうか。このイソはあるいはイワアナシであったかも知れない。

苦無神社


野田川町上山田に苦無(くなし)神社がある。
『与謝郡誌』
苦無神社
 山田村字上山田小字尾崎、村社、祭神少毘古那命、往昔天神山に遷座ありしを寛政八年今の地に遷座せしといふ、明治六年二月村社に列せられ氏子九十戸祭九月六日境内尾崎、稻荷神社あり、又小字藥師に秋葉、東に愛宕、四郎太夫に蛭子神社あり皆無格社なり。

『野田川町誌』
苦無神社 上山田小字尾崎
祭神 少名彦命。
 神彦巣日命の子で、朝鮮の国土を治め、帰国して出雲国で大国主命を助けて国土を経営し、畜産のため療法を定め、鳥獣昆虫の災厄に対する禁厭法(マジナイ)を制した。大祭は旧九月六日、現在は四月二十五日である。
 伝説として、小字古宮(享保以前の社地)付近に沼があり、大蛇が住み、日夜民を苦しめた。少名彦命は、ただちにこれを斬って住民を救った。その蛇体より刀剣が出てこれを弥刀神社に奉斎し、蛇体は、幾地穴石神社に祀ったという。現在、享保二年十二月六日に社殿を建立した棟札がある。
 また、古くから「笹ばやし」の民俗芸能があり、四月二十五日の大祭には、芸屋台や子どもの楽屋台が出て色を添える。
 なお、境内には狂言舞台があったが、昭和二年の丹後大震災のため倒壊した。石造物には、一八二一年(文政四)の石灯篭、樹木として大銀杏がある。境内に尾崎稲荷の祠がある。なお、小字薬師に秋神葉社、小字東に愛宕神社、四郎大夫に蛭子神社がある。
「室尾山観音寺神名帳」の「与謝郡六十八前」に記載の「正四位上 久奈世明神」は当社と思われ、古社である。
現地でワタシが聞いたハナシでは鍜冶屋の神様だという。裏山にカナクソがあるという。岩滝町男山に苦無の小字がある。
クナシは恐らくクラナシ、クラアナシであろう。
倉無の浜(万葉集)
闇無浜神社

ヘビと鉄が関係深いことはよく言われることであるが、前掲の「古代における鉄と地名と」(『東アジアの古代文化13号』)にも、
大蛇退治に類する話が伝えられている地域は、おおむね古代のある時期に鉄の生産がおこだわれていたか、あるいは製鉄集団に属する人たちがいた土地と見てもさしつかえないことをここで言っておこうと思う。
 スサノヲノミコトが〈高志の八岐大蛇〉を退治したという有名な話の舞台が〈斐伊の川上〉だが、この地は出雲で有数な産鉄地であったことは『出雲国風土記』の記述でも知られる。そして鉄と蛇とが密接な観念複合をもつことは多くの人によっても語られるところだが、ここでは、イザナミノミコトがカグツチノ神を生んで焚死したので、その夫のイザナギが怒ってカグツチを斬殺したとき、「その御刀の手上に集まる血、手俣より漏き出て成りませる神の名は闇淤加美の神。次に闇御津羽の神」とあるのを注意したい(『記』による。『紀』もほぼ同じ)。本居宣長が「クラとは谷のことなり」としていることは前にも触れたが、彼は『紀』の用字から見て「此の神は龍にて雨を物する神なり。この闇オカミは谷なる龍神なり」とした。従うべき見解だと思うが、イザナミが死にのぞんで金山彦辛金山比売を生んだり刀剣が深く関係していることからみれば、全体としてこの話が鉄の生産に関与する諸神の化成を語ったものと見ていいのである(次田潤氏『古事記新講』)。そして私はこのクラを産鉄場の谷としてとらえたが、産鉄場の谷こぞは蛇龍神の住みかであり、八岐大蛇がそこに出現するのもこうした関係にあるからであった。そしてこの八岐大蛇を斬ることによってスサノヲノミコトは産鉄場の新しい支配者として生まれかわるのである。
 そこであらためて『出雲国風土記』で闇見の国とされる地域に〈久良弥社〉(松江市本庄新庄のクラミ谷にあるという)が祭られていることが問題になる。そしておそらくこれは産鉄場の神としてのクラオカミの神(すなわち谷なる龍神)を祭ったものであったと推察されるが、これと同名の神代が若狭国三方郡にもある(神名帳)。これがどんなものかは私にはわからないが、ただ先年古岡金市氏によって石川県豊町から縄文晩期の製鉄遺跡が発見されて学界を驚かせたことがある。その当否は私には知りえないとしても、古代の若狭・越前では五、六世紀前後にかけて製鉄が行なわれていたことは確実視されるから、〈高志の八岐大蛇〉なるものが越の国に存在していたとしても私には不思議ではない。そして『出雲国風土記』は高志人の来住を説くことが多いが、いつの時代かに〈八岐大蛇〉が出雲の谷に姿を現わしたこともありうるだろうと思う

拝師、穴石、苦無、与保呂には、いずれもヘビ伝説が伝わる。ヘビは古くは世界樹の化身だったのだろうが、やがて製鉄民の神ともなっていったのであろうか。

木梨、鬼無、木成とか書くキナシ、峰山町菅にカラナシ古墳、これらもあるいはアナシかと思われる。
丹後は鉄王国といわれるが、その遺跡や文献はほとんど知られていないし、一般に関心もないように思われる、知られることのない丹後鉄生産の過去を、またいつの機会にか取り上げてみたい。








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