火祭②
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。 放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。 万燈山十二燈(久美浜町河梨8/23)←『心のふるさと 丹後Ⅱ』(坂根正喜)より兵庫県との境になる河梨の火祭り。8月23三日夕方に行われる。家々から1人ずつ男子が出て作業に当る。 行事の起源などは知られていませんが、虫除けと豊作を祈る行事と伝える。日程から愛宕信仰による献火行事になっているが、万灯山の名が残るように盆の万燈籠の要素も加わり、さらに虫送りも習合しているように思われる、という。 このカッコウは舟なのかも知れない。それなら、各家々の精霊を、この舟で送ろうとする、盆の送り火だろうか。何か波のような、渦のような、水のようなものでもあれば、精霊流しの舟で確定だが、それはないようである。 マンドリ(網野町網野神社境内7/24)動画「網野神社のマンドリ」 網野神社境内の愛宕神社の火祭で、7/24に行われる。地域の防災、防火を祈願するものといわれる。1メートルくらいの藁を束ねたものに火を付けて、グルグルと振り回すものである。50年ばかり途絶えていたもので、最近は復活されている。 同様の祭は他にはないが、宮津市今福の小字にマンドリヲがあり、あるいは過去には似たようなことが行われていたのかも知れない。 万燈・万燈籠仏教界の行事としては、 仏前にともしびを供える法会、灯火をかかげて寺に参詣することを万燈という、そうであるが、民俗行事の呼び名としては、特に記録がなく、確かなことは言うこともできない。たぶん、盆の送り火ないかと思われる、一般に盆の諸行事のなかでも、もっとも華やかなものである。盆に帰って来られたご先祖霊を、いよいよお送りするもので、松明か燈籠か、それぞれがかかげて、山か川か海かへと送る。多くの家庭から送られるので、遠くから見れば、万燈・万燈籠に見えたのではなかろうか。 小字を調べてみると-、 京都府京丹後市久美浜町坂井、万燈山 京都府京丹後市網野町木津元和田上野分、万燈山 京都府京丹後市弥栄町来見谷、マントウノオ。(万灯の尾か) 京都府宮津市万年、マントリ山。(万灯山か) 京都府宮津市滝馬、マントル山。(これも万灯山か) 京都府宮津市今福、マンドリヲ。(万灯尾か) 京都府宮津市日置、万東谷 京都府綾部市釜輪町、万燈山 京都府福知山市三和町台頭、マンドウ山。(万灯山だろう) 京都府福知山市三和町大身、万土山 京都府福知山市小牧、万燈 京都府福知山市厚、火振山。 京都府福知山市夜久野町千原、万道山 こうした所でもかつて万灯が行われたとみてよいであろう。 盆の当たり前の行事で、さして珍しい盛大なものでもなく、後世のためにと特に書き残されることもなかったものと思われる。 虫送り稻や栽培植物につく害虫を送るというもので、農薬や殺虫剤なき時代には、どの農村でも行われた行事である。火をたき、鉦や太鼓をたたき、その力で害虫を追い払おうというものである。 『大江町誌』 虫送り 農薬のなかった昔の米作にとって、虫害は旱害と共に大きな悩みであった。虫送りは、虫害を悪霊のしわざと考えたところからはじまった風習である。大正中ごろまで行われていたが、古い形を残していたのは、村中氏神に集まり、藁で馬の形をつくり、イナゴをフキの葉で包み馬の中に入れ、竹の先にかざし小太鼓を叩きながら「イナムシおくり、どこまでおくった 京の町までおくった」といいながら村境まで歩いた。(北原・橋谷・仏性寺)このうち仏性寺では、旧暦六月七日が虫送りの日とされ、作法は同じであるが、仏性寺は牝馬をつくり、真井野は牡馬をつくり、太鼓を叩きながら、三ヶ所の橋のたもとで馬をけんかきせ川へおさめたという。ここ仏性寺では、昭和三十年ごろまで虫送りが続いていたという。害虫の霊に祈願し藁人形に人の世界からつれ出してもらおうという発想のようである。
やや簡略化したものとして、青竹を割って作った大きな松明を手にもって、村中総出で集落を上から下まで太鼓を叩きながら「イナ虫おくるぞ」と叫びながら、下へ下へとねり歩いた。竹の先に馬を下げ、自分の田より下へ流したなどがある。時代が下ると、区長など地域の代表が、元伊勢内宮や氏神へいって、虫送りのお札をもらってきて田のふちに立て、イナムシおくりの日として、その日は休んだといった形になり昭和十年代まで続いていた。 音の玉手箱
Viva Espana |
資料編のトップへ 丹後の地名へ 資料編の索引
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Link Free Copyright © 2023 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com) All Rights Reserved |