丹後の地名プラス

そら知らなんだ

丹後国神名帳(加佐郡編)
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -15-)


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そら知らなんだ
ふるさと丹後
シリーズ
帰化人と渡来人
志楽と阿良須
真倉と十倉
笶原神社
九社神社と加佐(笠)
枯木浦と九景浦
女布
爾保崎
丹生
三宅
日子坐王と陸耳御笠
麻呂子親王の鬼退治と七仏薬師
源頼光と酒顛童子
元伊勢内宮と元伊勢外宮
丹後国神名帳(加佐郡編)
丹後国郷名帳
丹後国神名帳(与謝郡編)
丹後国の5郡


『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。

古代丹後の神名帳-1-

次の資料によって知ることができる。
丹後国風土記残欠とは、風土記残欠」 ありがたいことに神名帳がある。
延喜式神名帳記載の式内社とは、
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。(→十巻の一部)

弘仁式、貞観の二式およびその後の式を集大成した『延喜式』(50巻)には、神祇関係の法規が冒頭10巻にわたり記されている。その巻9「神名上」、巻10「神名下」は、それら神祇関係法規の適用される範囲の神社名を列記したもので、この2巻すなわち『延喜神名式』(『延喜式神名帳』)に登載された当時の官社3132座(2861社)を式内社という。
大社と小社の別はその神社の重要度や社勢によったのだろうと考えられている。
そもそも律令格式の式とは
律は刑法、令はその他の行政法や民法など、格はその追加や変更法、式は律令の施行細則とされる。
律令は元々は中国のもので、制定の権限は皇帝にだけあった。当時の日本もそれを真似て日本風のものを制定したと伝わる。
近江令 - 668年ごろ制定か。実在を疑う説も多い。
飛鳥浄御原令 - 689年制定。律令制構築のための先駆的な律令法典。
大宝律令 - 701年制定。本格的な律令法典。
養老律令 - 757年施行。大宝律令を一部修正したもの。
刪定律令 - 791年施行。養老律令の追加法。812年停止(実質廃止)。
刪定令格 - 797年施行。養老律令の追加法。9世紀初期に廃止?
いずれも現在には伝わらず、内容は詳しくは不明である。

勘注系図(かんちゅうけいず)は、正式には「籠名神官祝部丹波国造海部直等氏之本記」といい、貞観年中(859~77)の作と言われる。「海部氏系図」を補完するもので国宝に指定されている。


国史現在社(こくしげんざいしゃ)国史見在社(こくしけんざいしゃ)・国史所載社)
奈良・平安期に朝廷編集の日本史六書(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』で六国史(りっこくし)という)に名が見え、式内社以外の神社。式内社とともに由緒ある神社として尊重されている。どの神社に当たるのかの比定は簡単なことではなく、だいたい400社前後、一説に391社あるとされる。
丹後には、『三代実録』 元慶4年(880)10月13日条の
丹後國正六位上息津嶋神。葛嶋神。坂代神並授從五位下
の3社であるが、坂代神社は須代神社のことと見られていて、それなら息津嶋神社(老人嶋神社)と葛嶋神社(鳴生葛嶋か小橋の葛嶋か沓島ともされ不明)の2社である。

 加佐郡神名帳

加佐郡は古代の貴重な神社資料にはたいへん恵まれている。延喜式神名帳、国内神名帳、風土記残欠、勘注系図が知られている。これだけも揃う郡は全国探しても当郡だけでなかろうか。
恐らく4資料とも平安期には作成されていたものであろう。
しかし先祖が いかに立派なものを残してくれていたとしても、そのネウチが理解できないと、宝の持ち腐れ…悲しきブタさんのようにならないよう…

比定社の画像及び現在の所在地
『丹後風土記』残欠・神名帳(記載順)卅五座
位階はない
延喜式神名帳(延喜5年・905)
(記載順は()に入っている数字順)

加佐郡十一座(大一座小十座)
備考
祭神等

当サイト内へのリンク
(主なもの)

舞鶴市松尾
青葉社 残欠に、
青葉山は一山にして東西二峯有り、名神在します、共に青葉神と号つくる。其東に祭る所の神は、若狭彦神、若狭姫神、二座也。其西に祭る所の神は、笠津彦神、笠津姫神、二座也。是れ若狭国と丹後国の分境にて、其笠津彦神笠津姫神は丹後国造海部直等の祖也。
六所神社
青葉神社

舞鶴市多門院材木
天藏社 残欠に
天香語山命が倉部山の尾上に神庫をつくり、種々の神宝を収蔵し、長い梯を設けてその倉のしなと為したので、高橋と云う。今なお峰の頂に天蔵と称する神祠があり、天香語山命を祭る。また、その山口(二字虫食)国に祠があって、祖母祠と称する。此国に天道日女命と称する者があって、歳老いて此地に来居まして、麻を績ぎ、蚕を養い、人民に衣を製る道を教えたので、山口坐御衣知祖母祠
天藏神社

舞鶴市堂奥
山口坐祖神
山口座祖母社の誤記か
山口神社

舞鶴市与保呂堀口
日尾月尾社 残欠に、
日尾社。祭神、天日尾神、国日尾神、天月尾神、国月尾神四座祭田(以下虫食)
日尾池姫神社

舞鶴市田中
志東社 志束社の誤記か 鈴鹿神社

舞鶴市小倉フルヤマ
大倉木社 残欠に
大倉木社。祭神国造(以下三行虫食)

一説に布留山神社とする。
布留山神社・阿良須神社

舞鶴市朝来中ノケ
御田口社 残欠に、
御田口祠。御田口祠ハ往昔、天照大神分霊子豊宇気大神猶此国ニマシマスガゴトシ。丹波国造日本得魂命等スナワチ地口ノ御田ヲ以テ奉ル。更ニ校倉ヲ建テ、其穀実ヲ蔵ム也。故名テ曰ク阿勢久良ト。且、其倉ヲ奠リ、以テ御田口祠ト称ス。(以下六行虫食)
田口神社

舞鶴市河辺中
河辺坐三宅社 三宅(ミヤケノ ミケ)神社(10) 一説に北吸の三宅神社写真 八幡神社
河辺八幡神社

舞鶴市成生
鳴生葛島社 鳴生葛島神社
成生神社
舞鶴市成生
同将軍社 鳴生神社

舞鶴市森井根口
杜坐弥加宜社 弥加宜(イヤカキ)神社(3) 勘注系図に、
倭宿禰命(三世孫)亦名御蔭命、亦名天御蔭志楽別命、母伊加里姫命也、神日本磐余彦天皇御宇參赴、而獻從祖神傳來天津瑞神寶(息津鏡・邊津鏡是也)以奉仕矣(彌加宜社、祭神天御蔭命、丹波道主王之祭給所也)此命遷坐於大和國之時、娶白雲別神女豐水富命、生笠水彦命、(笠水訓宇介美都)
弥加宜神社
高田神社
舞鶴市上安
高田社 高田(タカタノ)神社(5) 残欠に、
高田社は祭神、建田勢命也。是丹(以下一行虫食)
勘注系図建田勢命(六世孫)注文に、
笠津彦命之子 一本云、小登與命一云建登米之子 亦名大諸過命云云亦名高天彦命 亦名大宇那比命母笠津姫命也、大日本根子彦太瓊
天皇御宇、於丹波國丹波郷、爲宰以奉仕、然后移坐于山背國久世郡水主村、故亦云山背直等祖也、后更復移坐于大和國、而娶葛木高田姫命、生建諸隅命(一云、次生和多津見命)矣、
高田神社

舞鶴市今田
倭文社 倭文(シトリノ)神社(4) 倭文神社

舞鶴市十倉
砧倉社 チンクラと読むのであろうか 山崎神社

舞鶴市京田
手力雄社 幸谷神社

舞鶴市女布
日原社 日原(ヒハラノ)神社(11) 日原神社

舞鶴市引土出雲谷
出雲社 かなり古い時代に廃絶したものと思われる。 引土八幡社が大己貴神を祀るともされる

舞鶴市京田
伊加里姫社 勘注系図に
倭宿禰命(三世孫)亦名御蔭命、亦名天御蔭志楽別命、母伊加里姫命也、神日本磐余彦天皇御宇參赴、而獻從祖神傳來天津瑞神寶(息津鏡・邊津鏡是也)以奉仕矣(彌加宜社、祭神天御蔭命、丹波道主王之祭給所也)此命遷坐於大和國之時、娶白雲別神女豐水富命、生笠水彦命、(笠水訓宇介美都)
残欠に
笠水(訓宇介美都)。一名真名井。白雲山の北郊に在る。潔清は麗鏡の如し。たぶん豊宇気大神の降臨の時に湧出た霊泉であろう。其深さは三尺ばかり、其廻りは百十二歩である。炎旱に乾かず、長雨にも溢れない、増減を見ない。其味は甘露の如しで、万病を癒す麗機がある。傍らに二つの祠がある。東は伊加里姫命或いは豊水富神と称する。西は笠水神即ち笠水彦笠水日女の二神である。これは海部直等の祖神である。
藤森神社

舞鶴市公文名
笠水社 笠水神社

舞鶴市紺屋町
笶原社 笶原(ヤハラノ)神社(8) 勘注系図天叢雲命の注文に、
孫天村雲命亦名天五十楯天香語山命、於天上生神也、母穂屋姫命也、以天眞井之水、天降于日向國竟、后遷坐于丹波國、灌其水於久志比之眞名井(丹波國眞名井三處、久志比・矢原・伊去奈子是也)乃和其水、以炊供奉豐受大神之神饌矣、此命坐日向國之時、娶阿俾良依姫命、生天忍人命、次生天忍男命、次生天忍日女命、而遷坐於丹波國之時、娶伊加里姫命、生倭宿禰命、亦名天御蔭命、次生葛木出石姫命、亦名角屋姫命也

勘注系図天香語山命の注文に、
香語山命取其弓矢發之、則其矢致于当國加佐郡矢原山而留、即時生根枝葉青々、故名其地云矢原、(矢原訓屋布)
古来笶原神社の比定地は3箇所ある、紺屋町・野原・与保呂勘注系図に従っても紺屋町であろう。
笶原神社

舞鶴市青井
伊吹戸社 イブキベと読むのであろうか 結城神社

舞鶴市長浜
十二月栗社 シワスクリ
残欠に、
十二月栗神、祠無し。木を奉り神と称す。古老伝えて曰く、往昔、稚産霊神の植るところにして、歳毎の十二月朔日に、花生、二十日に至り実を結ぶ。正月ムツキ元日に其実を取り、太神に奉る。今に至るも其例たがへず。蓋し是れ神験の奇乎。
十二月栗神社

舞鶴市瀬崎
石崎坐三輪社 二石崎坐三輪社の「二」が脱落しているものか。のちに与謝郡に移動したともいう。 八幡神社

舞鶴市冠島
凡海坐息津島社 「勘注系図」彦火明命の注文に、
凡海坐息津嶋社は祭神佐手依姫命
凡海息津嶋瀬坐日子社は祭神彦火明命
老人嶋神社
老人嶋神社

舞鶴市冠島
凡海息津島瀬坐日子社 国史現在社 瀬宮神社

舞鶴市大川
大川社 大川(オホカハノ)神社名神大(6) 大川神社

舞鶴市西方寺
伍藏社 イノクラ 猪蔵神社
布留社 国内神名帳に
正二位布留明神

大江町蓼原
船戸社 水害常襲地で改修に伴い社地を失い冨士神社に祀られる 舟戸神社

舞鶴市桑飼
伊知布西社 伊知布西(フセ)神社(2) 伊智布西神社

舞鶴市丸田
麻良多社 麻良多(マラタノ)神社(9) 麻良多神社
水戸社

宮津市由良
奈具社 奈具(ナクノ)神社(1) 奈具神社
神前社 神崎の湊十二社か

舞鶴市岡田由里
気比社 気比神社
剱社

大江町北有路
阿良須社 阿良須(アラスノ)神社(7) 残欠に、
有道ト称ル所以ハ、往昔、天火明命ガ飢テ此地ニ到ッタ時。往ニ随ヘテ、食ヲ求メテ螻蟻ニ連行サレタ所以ニ、穴巣国ニ在ル土神ヲ見タ。天火明神ハ食ヲ請フタ。土神ハ歓喜テ種々盛饌ヲ奉饗シタ。故ニ天火明命ハ土神ヲ賞シ、且、爾後ハ蟻道彦大食持命ヲ以テ称ト為スベシト詔シタ。故ニ蟻道ト曰フ也。亦、蟻巣ト云フ神祠ガ有ル。今、阿良須ト云フハ訛レルナリ。(以下七行虫食)
阿良須神社


 「室尾山観音寺神明帳」七十七社
元亀3年(1572)の写本の奥書があるものは伝わらないのであるが、おそらくその時代以前成立のものと考えられている。加佐郡だけででなく、丹後の全郡がそろっている。写本が二系統伝わるそうで、それが少しずつ違う。下の表の左が舞鶴の金剛院に伝わったもの、次は観音寺のものだそうである。
『丹後史料叢書』にも、どうしたことかこの文献は集録されていない。
観音寺で調査された杉本嘉美氏によれば「神明帳はもともと丹後国分寺が諸神の冥通を願い修正会に奉誦していたものと解される」。平安時代には既に成立していたと考えられるという(『両丹地方史』(1988.5))。現在のどの神社にあたるのか、その比定はたいへんに困難である、わかりそうなものだけ比定しておく。ただし私の判断である。
こうしたものは一般に国内神名帳と呼ばれ、『日本三代実録』によれば、貞観5年(863)9月25日付の太政官符において、諸国に対して神社帳を作成してその写しを式部省に提出するように命じている(神社帳准官舎帳勘了之日。令移式部省)。本来国司の職務の1つに管国内の神社の管理と祭祀に関するものが含まれていたことから、それ以前より国内の神社の把握のために何らかの帳簿・文書が作成されていた可能性は高いとされる。現在、少なくても18か国の神名帳が残されており、群馬県の総社神社(旧上野国)のように国内神名帳自体が神体になっている例もある。中世には総社勧請や寺院の法会での諸神招請に利用されていたとみられている。また、現存する神名帳のほとんどが中世期の書写で、中世期における加筆・追記(特に平安時代後期に成立した総社制・一宮制の反映)が行われており、古代の神名帳そのままのものではないことに注意を必要とするとされる。
それはそうでなかろうか、神々の位階付けなどは坊さんの権限の及ばないものであろう、国(天皇)の役人が関わっていたと考えざるをえない。丹後国庁で作られたものが丹後国分寺で使われ、その写本が当時の大寺院でも使われて、あるいは追記加筆された本が当本ではなかろうか。

現在の比定神社
画像
現在の所在地
位階 神社名
『元初の最高神と大和朝廷の元始』
神社名
『舞鶴市誌』
神社名
『加佐郡旧語集』
備考
大川神社

舞鶴市大川
正一位 大河明神 同左 大川明神 式内社 大川神社
幸谷神社

舞鶴市京田
正一位 田力男タチカラヲタチカラヲタチカラヲ明神 同左 田力尾 内宮皇大神社の本殿脇に祀られている社の説もある 幸谷神社
松尾神社

舞鶴市八田
正二位 松尾明神 同左 松尾 松尾神社
奈具神社

宮津市由良
正二位 奈具明神 同左 奈具 式内社 奈具神社
嶋満神社

舞鶴市溝尻
正二位 嶋満シママシママシママ明神 同左 嶋満 嶋満神社
正二位 布留明神 布留フルフルフル明神 布留 残欠に布留社
老人嶋神社

舞鶴市冠島
正二位 息津島オキツシマオキツシマオキツシマ明神 息津イキツイキツイキツ島明神 息津嶋 国史現在社
元慶4/10/13
丹後國正六位上息津嶋神。葛嶋神。坂代神並授從五位下
老人嶋神社
成生葛島神社

舞鶴市成生
小橋神社の境内に葛島社があったという。
正二位 葛島(カツラジマ)明神 葛島カツラシマカツラシマカツラシマ明神 葛島 鳴生神社
河辺八幡神社

舞鶴市河辺中
従二位 三宅明神 ヤケヤケヤケ明神 三宅 式内社 三宅神社
麻良多神社

舞鶴市丸田
従二位 丸田明神 丸田マルタマルタマルタ明神 丸田添 式内社 麻良多神社
従二位 千滝チタキチタキチタキ明神 同左 千滝
従二位 明神 ミナトミナトミナト明神
伊智布西神社

舞鶴市桑飼
従二位 市布施明神 市布施イチフセイチフセイチフセ明神 市布施 式内社 伊知布西神社
枝宮神社

舞鶴市岡田由里
従二位 エダエダエダ明神 ヱタヱタヱタ明神 枝宮神社
従二位 伊津岐イツキイツキイツキ明神 津キ津キ津キ明神 伊津岐
日原神社

舞鶴市女布
従二位 日原明神 日原ヒハラヒハラヒハラ明神 日原 式内社 日原神社



舞鶴市松尾
従二位 加佐比売(カサヒメ)明神 同左 加佐姫 青葉神社


舞鶴市松尾
従二位 加佐比古(カサヒコ)明神 同左 加佐彦 青葉神社
池姫神社

舞鶴市布敷
正三位 千滝雨引チタキアマヒキチタキアマヒキチタキアマヒキ明神 千滝雨引アマヒキアマヒキアマヒキ明神 千滝雨引 「池姫神社」
阿良須神社

大江町北有路
正三位 有栖アリスアリスアリス明神 サイサイサイ明神 有栖 式内社 阿良須神社
鈴鹿神社

舞鶴市田中
正三位 志束シタカシタカシタカ明神
ホンホンホン明神 志呂 鈴鹿神社摂社志束社
正三位 太社明神 太社ヲフモリヲフモリヲフモリ明神 大社
正三位 多乱女タラメタラメタラメ明神 多礼売ダラメダラメダラメ明神 多礼売
倭文神社

舞鶴市今田
正三位 倭文明神 委文シトシシトシシトシ明神 委文 式内社 倭文神社
高田神社
高田神社
舞鶴市上安
正三位 高田明神 高田タカタタカタタカタ明神 高田 式内社 高田神社
正三位 物部明神 物部モノゝベモノゝベモノゝベ明神 物部
大江町公庄 正三位 郡立明神 郡立コリタテコリタテコリタテ明神 郡立
熊野神社

舞鶴市泉源寺
正三位 波多明神 波多ハタハタハタ明神 波多 熊野神社
正三位 桑田明神 奈多ナタナタナタ明神 奈多
藤津神社

舞鶴市藤津
正三位 藤津明神 藤津フジツフジツフジツ明神 藤津 藤津神社
朝禰神社

舞鶴市倉谷
正三位 大宇賀明神 宇賀ウガウガウガ明神 大宇賀 朝禰神社
高倉神社

舞鶴市長浜
正三位 高鞍明神 高鞍タカクラタカクラタカクラ明神 高鞍 高倉神社
弥加宜神社

舞鶴市森
正三位 御陰明神 御陰ミカゲミカゲミカゲ明神 御陰 式内社 弥加宜神社
正三位 三宅明神
  此一社二重書と相見候
即ち此の社を除き七十七座
「三宅神社」
笠水神社

舞鶴市公文
正三位 笠水売ウケミツメ・カサミツメウケミツメ・カサミツメウケミツメ・カサミツメ明神 笠売カサウリカサウリカサウリ明神 笠売 笠水神社
雨引神社

舞鶴市城屋
正三位 雨引明神 雨引アマヒキアマヒキアマヒキ明神 雨引 雨引神社
筒神社
大江町仏性寺
正三位 ツツツツツツ明神 ツゝツゝツゝ明神 如来院文書に、日室嶽の下を流れる川に祀られている 如来院
正三位 太祢明神 太祢タネタネタネ明神 太祢 多禰寺のあたりか 多禰寺
猪蔵神社

舞鶴市西方寺
正三位 猪鞍イノクライノクライノクラ明神 猪鞍明神 猪鞍 猪蔵神社
正三位 津夫良ツブラツブラツブラ明神 同左 津夫衣
舟戸神社

大江町蓼原
正三位 船度明神 船度フナトフナトフナト明神 船度 舟戸神社
気比神社

舞鶴市岡田由里
正三位 気比明神 気比ケヒケヒケヒ明神 気比 気比神社
境谷神社

舞鶴市境谷
正三位 明神 サカイサカイサカイ明神 境谷神社
舞鶴市小倉 正三位 神並カンナミカンナミカンナミ明神 ナミナミナミ明神 神並 舞鶴市小倉の阿良須神社かも
如意寺

宮津市由良
正三位 如意明神
  由良神社歟
如意明神 如意 由良に真言宗如意寺がある 由良神社
正三位 神前明神 マエマエマエ明神 神前 神崎の湊十二社か
正三位 山口明神 同左 山口
正三位 青山明神 同左 青山
山崎神社

舞鶴市十倉
正三位 砧倉トクラトクラトクラ明神 砧倉トウクラトウクラトウクラ明神 砧倉() 山崎神社
伊加里姫神社

舞鶴市京田
正三位 伊加利比売明神 伊加利比売ヒメヒメヒメ明神 伊加利比売 伊加里姫神社
舞鶴市泉源寺 正三位 其束シバツカシバツカシバツカ明神 芝束シバツカシバツカシバツカ明神 芝束
鹿原神社

舞鶴市鹿原
正三位 加和良明神 加和明神 加和良 鹿原神社
正三位 介地明神 介比カイヒカイヒカイヒ明神 介比
正三位 明神 ツルギツルギツルギ明神
舞鶴市河辺 正三位 河辺明神 河辺カワベカワベカワベ明神 河辺 河辺八幡社か
舞鶴市小倉 正三位 大倉明神 クラクラクラ明神 大倉
正三位 村津明神 木津キツキツキツ明神 木津
宮崎神社

舞鶴市喜多
正三位 宮嶋明神 マエマエマエ明神 宮前 宮崎神社
正三位 小嶋明神 小嶋ヲシマヲシマヲシマ明神 小嶋
笶原神社

舞鶴市紺屋
正三位 笶原ヤハラ・ヤブヤハラ・ヤブヤハラ・ヤブ明神 笑原ヤバラヤバラヤバラ明神 笠原 式内社 笶原神社
舞鶴市安久 正三位 阿具明神 阿具アグアグアグ明神 阿具
正四位上 大歳オホトシオホトシオホトシ明神 大歳オフトシオフトシオフトシ明神 大歳(大蔵カ)
田口神社

舞鶴市朝来中
正四位上 中村明神 同左 中村 残欠に
御田口社
田口神社
正四位上 国津明神 同左 周津
天藏神社

舞鶴市材木
正四位下 天藏明神 天藏アマクラアマクラアマクラ明神 天藏 天藏神社
正四位下 市施明神 同左 布施
従四位上 福徳嶋明神 同左 福徳
老人嶋瀨宮神社

冠島
正五位下 息津島上手オキツシマカミテオキツシマカミテオキツシマカミテ明神 息津島上手イキツシマカミテイキツシマカミテイキツシマカミテ明神 息津島 残欠に
凡海息津島瀬坐日子社
セの宮さん
舞鶴市池内 従四位上 池内明神 池田イケダイケダイケダ明神 池田
山口神社

舞鶴市堂奥
従五位下 曽保谷ソボタニソボタニソボタニ山口明神 同左 曽保谷山口 残欠に
山口坐祖神とある
山口神社
従五位上 大冨明神 トミトミトミ明神 大冨カ
従五位上 津社明神 同左 津社
従五位上 伊加利明神 同左 伊加利
従五位上 津嶋明神 同左 津嶋
従五位上 初施明神 布施明神 布施
舞鶴市引土出雲谷 従五位上 出雲明神 出雲イズモイズモイズモ明神 出雲 残欠に
出雲社
従五位上 伊波比明神 波比ハビハビハビ明神 伊波井
従五位上 猪谷イタニイタニイタニ明神 猪甘イカンイカンイカン明神 猪半





 音の玉手箱
 精神に翼をあたえ、創造力に高揚を授ける、音の宝石


Where Have all the Flowers Gone:花はどこへ行った




(271) Joan Baez Where Have All The Flowers Gone Vietnam War - YouTube

ベトナム戦争当時の反戦歌。アメリカ政府ソンタクぱかりのなかで、その政府に睨まれながらの歌であった。ワタシは戦後生まれで、「戦争を知らない子供たち」であった。今はもう早や老いさらばえ、ええジイさんになって、いつになっても学ぶことないままに時はアっというまにすぎて、「戦争を知らないアホなジイさんたち」になってしまった。もしやこのままに死んだなら、それはどういう人生であったのだろう
朝鮮戦争の頃はまだ幼児で何もわからない、モノゴコロつき始めたにころに始まったのがベトナム戦争だった。TVが伝えるくらいで周囲の人は詳しくは何も知らない、イナカにはこんなヤツら↓は一人もいない。
ネットなどはなく、多くの情報を簡単に得られない、この戦争の実像をつかむのに苦労した。しかし今のように世界中が戦争で一杯というこもなかったようで、一点集中できた。
ベトナム上空で撃ち落としたB52の機体で作った指輪なども日本でも売られていて、それを指にはめて情勢から目を離さないようにした。
歌詞はショーロホフの『静かなドン』に引用されているウクライナ民謡から、曲はアメリカ民謡から着想を得て、ピート・シーガーが歌った。その後いろんな歌手が歌って全世界に広まった。

young manは皆soldierになり、その兵士達は
Where have all the soldiers gone ?
Gone to graveyards, everyone.
みんな墓場へ行った、と歌う。
戦争とは何でもなく、昔からそうしたことであった。若者と言っても死ぬのは貧しい家の若者で、金持ちの子は死なない。
早くそれに気づいて、その悲劇を繰り返さないことであろう。

ベトナム戦争でのアメリカ兵の死者数は5万8000人といわれ、ベトナム民間人の死者数は200万人といわれる。
アホほどの軍事費と最強の軍事力を誇り、子分の国々や傀儡どもを引き連れて、圧倒的な力でのぞんだアメリカとすれば負けるはずもない戦争であった。三発も撃てば勝ちのはずであった。しかしかんじんの正義がまるでなかった、丸出しのヤシでは戦争には勝てない。
日本でも当初はベトコンと蔑んだような呼び方であったが、無敵アメリカ軍が負けるのかと驚く戦果をあげはじめ、正義は彼らの側にありそうだと気づくようになってくると、ベトナム人民解放戦線と呼ばれるようになり、信じられないほどの優れた作戦力と実力を持つものとわかると彼らを解放戦士と呼ぶようになった。

フェンスをバンと難なくブチ破って傀儡南ベトナム大統領府へ無血突入する、北ベトナム軍のT54戦車。
その映像は全世界の大感動ものであった、とくに米帝の戦争にいつ巻き込まれるかの心配あった日本では、ありがとありがと、であった。
あっけなく幕は閉じた。超大国といえども弱小国すら支配することができない。

ベトナム戦士は英雄として永遠に忘れられることはなかろうが、気の毒なのは死んだアメリカ若者や傀儡側の若者で、一将の功なることもなく万骨が枯れた。哀れで情けない彼らを覚えている者ももうなかろうかも知れないが、あらためて心よりの哀悼の意をもって聞こう、彼らが安らかに眠れる日がやがて来るのを祈りながら。


 Прощания славянки:スラブ娘の別れ



いちおう軍歌ではあるが、通り一遍の空疎な歌詞をならべて戦争鼓舞するものでないよう
プラシャイ オチ クライ
トィ ナス フスパミナイ

と何度も何度も繰り返している。

さらばふるさと 僕らを忘れないでくれ
さらば いとしい人達 さらば さらば
生きて帰れるかわからない

どこの国の兵士も思っていることはみな同じスラブ娘たちの歌はあまりうまくはないようだが、歌詞はいろいろバージョンがあるよう、そのなかから、よいものを選んでいるよう。これならどちらかといえば反戦歌かも、ヘタでも同世代の若者が歌うのがよい。
しかし攻められれば仕方もない。「9 мая(5月9日)」とあり対ナチス戦勝記念日のセレモニー。喜びよりも帰らぬ数多くの若者達への悲しみの追悼集会の様子。Боровичиはレニングラードとモスクワを結ぶ運河沿いの町というから、多くの人が死んだのであろう。心よりの哀悼の意を表しながら聞こう。

こちらは曲は同じでも軍歌調歌詞のようで、座ったままという不謹慎なことではダメのよう。ナチに勝利した軍の誇り高い名誉な軍歌だからそうなのだろう。
(275) Прощание славянки Казачий хор Кубани - YouTube

多くの戦争犠牲者を笑いもののネタにしたりするのは現代日本人的な情けない、超不謹慎な大馬鹿であるが、こうした人間性から疎外されたニセ人間の多い狂ったガラパゴス国である上に、そうしたものもゼニ儲けの観光資源くらいにしか見ていないような者がほとんどで、ほとんどの日本人はホロコーストをコントにした芸人とかと大差はない、世界平和向けての努力もなく、その逆ばかりで、ぶさいくなぼろ負けの大儀なしの軍の亡霊どもなどと一緒になって、「ホコリだジマンだ」言いたがる。もとよりムリであろう。本来なら軍法会議行きだぞ。
しかし動員されて死んだ兵士の歴史上のネウチは別のところにある。



 死んだ男の残したものは



谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲。ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられたという。名歌である。(ベトナム戦争も知らない人も多くなったが、ちなみに前回東京オリンピックは1964年であった)

死んだ男が残したものは、生きているわたし、生きてるあなた。
死んだ男が残したものは、輝く今日と、また来るあした。

彼らは歴史を残し、生きてるワレラを残した。…はずであった。
まもなく76回目の終戦の日を迎える。せめてこの時くらいはしっかり人間の心をとりもどそうではないか。ポンコツ化、超ガラパゴス化が止まらないのも、戦禍に亡くなった彼ら、日本人なら原爆で焼き殺された人々を思い起こせばすぐわかろうが、それを思ってもみないこと、笑いものにするなどいう、およそ考えられないような心の頽廃への呪いなのかも。
彼らを戦場に送ったことで一度殺し、そうして殺した彼らを忘れることによって二度目の殺し、さらにそれも忘れて観光化することによって三度目の殺しをする、それは自分も殺しゾンビとすることである。何度何人を殺せば気が休まるのであろうか。2000万人×3の殺人者のムレ。ワレラとはもはや人間とは無縁な生き物(?)に、ゾンビのムレと成り果てたのではなかろうか。。



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