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そら知らなんだ

田邊(田造)郷①
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -43-)


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少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。

丹後国加佐郡田邊(田造)郷

田辺は今も使われている地名で、北田辺、南田辺の字名がある。いずれもお城(田辺城)やその周辺の地名である。


普通は、というか中世以降はタナベ(田邊・田名部)であるが、それ以前には田造とも記されている。
←『和名抄』ですら、高山寺本に田邊郷、刊本には田造郷とある。
『和名抄』はいろいろ写本があり、高山寺本というのは、京都高山寺に伝わったもので平安末期の書写になる伝本中最古のものといわれる。
刊本は、元和3年(1617年) 那波道円が校訂・刊行した20巻本の古活字版。

寿永3年(1184)4月16日付平辰清所領寄進状案(東寺百合文書)に、大内郷の四至として
西限田辺郷堺子午仟佰并赤前山
とあり、大内郷に東接していた。

子午は子午線(南北線)、仟佰は田のあぜ道のことのようで、赤前山は今の山崎山のことか。だいたいは今の「伊佐津街道」のあたりが境か。

元暦2年(1185)5月日付丹後国司庁宣(島田文書)に、
  
下 丹後国田辺郷
   可早充行給田弐町事
    雑色千与久
 右件給田、以五斗代内、停止万雑事、可充行之状、
 所仰如件、以下、
     元暦二年五月日
 大介藤原朝臣(花押)

「吾妻鏡」建久5年(1194)10月25日条に、この日鎌田兵衛尉正清の女に、
丹波国田名部庄
の地頭職が与えられているが、この「田名部」は田辺ではないかと考えられている。

田辺郷は中世末まで郷として存続し、丹後国田数帳に、
  
田辺郷 百九十九町五段二歩     細川讃州
とある。細川讃州は阿波国守護細川成之か。また、綾部市に残される志賀家文書に、
 
就科所丹後国田辺御代官職之儀、志賀次良左衛門尉
 申付、子細在之上者、任披申旨致其働者可為神妙候
 也、謹言
    九月二日           高国(花押)
      志賀一族中
とみえ、吾雀庄(綾部市)にいた豪族志賀氏の一族が、田辺郷の代官職に任じられている。

田造郷の考察


田邊郷の地は田造郷とも記されている。田造は田邊の誤記(地名辞書など)とは考えられなく、恐らく田造がより古いのでなかろうか。

『加佐郡誌』は、田造郷だったと見ている。

『丹後風土記残欠』は、
田造郷 今依前用
残欠よりも古くから田造と呼ばれていたようである。

伽佐郡。伽佐郡は旧笠郡の字を用いる。訓ヨンで宇気乃己保利と曰う。其宇気と称する所以は、往昔、豊宇気大神が田造郷の笶原ヤブ山に留り坐して、人民等が其恩頼を受けた、故に宇気と曰う也。笠は一に伽佐と訓む。よって今、世に謬って伽佐乃己保利と曰う也。

田造郷。田造と号くる所以は、往昔、天孫の降臨の時に、豊宇気大神の教えに依って、天香語山命と天村雲命が伊去奈子嶽に天降った。天村雲命と天道姫命は共に豊宇気大神を祭り、新嘗しようとしたが、水がたちまち変わり神饌を炊ぐことができなかった。それで泥ヒチの真名井と云う。ここで天道姫命が葦を抜いて豊宇気大神の心を占ったので葦占山と云う。ここに於て天道姫命は天香語山命に弓矢を授けて、その矢を三たび発つべし、矢の留る処は必ず清き地である、と述べた。天香語山命が矢を発つと、矢原山に到り、根が生え枝葉青々となった。それで其地を矢原(矢原訓屋布)と云う。それで其地に神籬を建てて豊宇気大神を遷し、始めて墾田を定めた。巽の方向三里ばかりに霊泉が湧出ている、天香語山命がその泉を潅ぎ〔虫食〕その井を真名井と云う。亦その傍らに天吉葛が生え、その匏に真名井の水を盛り、神饌を調し、長く豊宇気大神を奉った。それで真名井原匏宮と称する。ここに於て、春秋、田を耕し、稲種を施し、四方に遍び、人々は豊になった。それで其地を田造と名づけた。(以下四行虫食)

「勘注系図」も田造郷としている。
天香語山命の注文に
亦名は手栗彦命。亦名は高志神彦火明命。天上に於いて生ます神也。母は天道姫命亦名屋乎止女命、亦名高光日女命、亦名祖母命也。爾に天香語山命と天村雲命は父火明命に従い、丹波国凡海嶋へ天降座す。而して神議を以て国土を造り修んと欲し、百八十軍神を率い、当国之伊去奈子嶽に到る時、母道日女命と逢い、因て此地へ天降る其由を問う。母は答えて曰く、此の国土を造り堅めんと欲す、然と雖も、此の国は豊受大神の所所国也。故に大神を斎奉しなければ、則ち国は成り難也。故に神議を以て斎清地を定る。此大神を奉斎れば、則ち国成。故に祖命乃其弓矢を香語山命に授け曰く。此則ち是大神之意者。汝宜しく之を発ち。而其落に随い清地に行くべし。故に香語山命は其弓矢を取り、之を発つ。則ち其矢は当国加佐郡矢原山に到りて留まる。即時根生て枝葉は青々、故に其地を名づけて矢原と云う。(矢原訓屋布)。爾に香語山命が南東に到れば則ち荒水が有。故に其地神籬を建て、以て大神を遷し祭る。而して始めて墾田を定む。是に於て春秋に田を耕し、稲種を施し、恩頼は四方に遍く。即ち人民は豊なり。故に其地を名つけて田造と云う。爾に香語山命は然る后に、百八十軍神を率い退いて由良之水門に到る時に、父火明命に逢う。詔が有る。命は其神宝を奉斎し、以て国土造りを速修せんと欲す。其地を覓めて行き而て遂到当国余社郡久志備之浜に遂到る之時。御祖多岐津姫命とに逢う。因て此地に居ます其由を問う祖命は答えて曰く。斯地は国生の大神伊射奈岐命が天より天降り坐す地也。甚清地也。故に参降りて而して汝の来るを待てり。是に是て、香語山命は地が速かに天に連き、天真名井之水に通うを知る。すなわち天津磐境に起て始て其神宝を其地に奉斎し、豊受大神を遷し祭る(分霊を矢原山に斎奉る)。是に於て則ち国成る。其時此地に霊泉出る。爾に天村雲命は天真名井之水を汲み、此泉に濯ぐ。其水は和らぎ以て御饌之料と為す。故に此泉を名づけて久志備之真名井と云也。今世に謂う比沼之真名井は訛也(真名井は亦宇介井と云う)。此時、磐境の傍に於て天吉葛が生る。天香語山命は其匏ゑ採り、真名井之清泉を汲み、神饌を調度し、厳かに祭りを奠る。故に匏宮と曰く(匏の訓は与佐)。亦久志浜宮也(此郡を匏を号くる所以は風土記に在り)。爾に香語山命は然る后に木国熊野に遷坐す。而て大屋津比売命を娶り高倉下を生む。道日女命は多岐津姫命と此地に留り、豊受大神に斎仕。

17世孫丹波国造明国彦の注文にも、
葬于加佐郡田造郷高野丸子山。
今の高野野村寺に丸子山古墳がある。

「田造」はどう読むのか訓注が見当たらないが、普通はタヅクリとかタツクリと読んでいる。しかしそれは漢字のままに読んだ小学生レベルのもので、これで正しいかは何ともわからない。たぶんこの名は天香語山命の別名から出ていると見られ、タナツクリ、タナクリ、タクリとか読むのがいいのでないかとワタシは見ている。

山城国綴喜郡式内社(大)・棚倉彦(たなくらひこ)神社棚倉彦神社
『綴喜郡誌』
村社 棚倉孫神社 延喜式内 (大月次新嘗) 祭神  天香古山命
綴喜都田辺町大字田辺にあり、祭神につきて諸説あり、饒速日命子、高倉下命なりと。社説には天香古山なりとす。三代実録、貞観元年正月廿七日・甲申奉授山城国従五位下、棚倉孫神従五位上とありて、鎮座地を字棚倉野と云ひ、是を以て棚倉孫神社なること、明かなり。例祭十月十五日

『京都府の地名』(平凡社)
棚倉孫神社 (現)田辺町大字田辺 棚倉
 天神森(てんじんのもり)の地に鎮座するが、今は境内の樹木もまばらである。祭神は天香古山命。饒速日命の子で、高倉下命・手栗彦命ともいい、手栗彦(たなくりひこ)が棚倉孫に転じたといわれる。一説には南山城に渡来人が多く、養蚕が盛んで、棚倉とは蚕棚の小屋の意であり、養蚕に関係のある神ともいう。旧郷社。
 創祀の由緒は明らかでないが、「三代実録」貞観元年(八五九)正月二七日条に従五位上に叙された諸神の一に「棚倉孫神」があり、「延喜式」神名帳に載せる山城国綴喜郡一四座のなかに「棚倉孫神社 大、月次 新嘗」とみえる。元禄初年に淀藩主石川憲之の崇敬を受け、毎年御供料の寄進を得た。

『大日本地名辞典』(角川)
祭神は天香古山命(高倉下命・手栗彦命)で、現在、近鉄新田辺駅の西北にある。棚倉とは穀物を収蔵する床を棚作りにした倉のことで、渡来人によってもたらされ、興隆していた養蚕にも用いられたと思われる。一説に棚倉は手栗から転訛したともいわれる。境内には本殿・拝殿・末社・絵馬舎などがあり、本殿前には、天正2年(1574)の銘のある石燈篭がある。
この手栗(たなくり)棚倉(たなくら)田邊(たなべ)、と転化したとする説があり、手栗彦はタナクリヒコあるいはタクリヒコと読まれているが、タナクリと読むと田邊への転化もうなずれる。


天香語山命は勘注系図には、始祖彦火明命の児とあり、
亦名は手栗彦命。亦名は高志神彦火明命。
天孫本紀では、天降りての名は栗彦命となっている。地方によって違う伝があるようだが、当地舞鶴では、天香語山命はタナクラ彦とも呼ばれ、これが田造・田邊という地名の元となったものと思われる。弥生・古墳時代の渡来人の殖産興業の神様のようで、田造彦命と書いたのかも知れない。一部は彦とことわってあるから男神だろうが、豊受大神と似た性格があり、後に混同、習合していくように見える。
しかし手栗彦とは何のことであろう。シュリツ彦で志理都彦命(椎根津彦)のことであろうか。海部氏の勘注系図はこの名が多い、3名もいることになるが、新羅彦、新羅君主彦だから天日槍のことであるかも知れない。当地のどこかにこの人を祀る社がありそうに思えるが、笶原神社であったのであろうか。あるいは笶原神社はタナクリ神社とも呼ばれ、矢原山はタナクリ山とも呼ばれていて、それらが田造郷の語源となったものか。そうならば田辺(田造)郷とは天日槍郷のことであるのかも知れない。。

天香具山



西舞鶴市街地の西側にある山、今は普通は愛宕山と呼んでいる山、少し前までは舞鶴山とも西山とも呼ばれていたが、古くは細川忠興笶原神社再建の棟札に、
丹後州神座郡田辺城外之西嶺有笑原神宮焉豊受太神神幸之古跡而所謂為真名井原與佐宮二處之一而此嶺別有天香或藤岡之名焉…
この西嶺に笶原神社があり、天香山(天香具山)や藤岡山の別名があったと伝え、残欠では矢原山と見える。
この山の東麓にある桂林寺↓は、その山号が天香具山である。


天香具山といえば大和三山の天香具山が思い浮かんで、なんで、こんなイナカに天香具山があるんじゃいや、と10中9人までがあやしく思われていることであろう。
春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山
これが天香具山で、このほかに天香具山があるもんかと、勝手に思い込んでおられるかも知れない。籠神社の裏山にも天香具山がある。石川にもあるというが、どこまで古代の山名かわからない。

このあたりまでは何度も当サイトでも取り上げてきたところである。
田造・田邊の語源を尋ねれば、問題はこの先にある。先というか過去にあるのだが、もう確かな文献はない。ダレも知る者のない過去へさかのぼらねばならない。

天香具山命


天香具山と呼ばれるのだから、天香具山命が祀られていたのでなかろうか。その社が笶原神社であったと見られる。

『日本書紀』の天岩戸のところ、
石凝姥を以て冶工として、天香山の金を採りて、日矛を作らしむ。
ここから、石凝姥=天香山命=天日槍=(金工神 女神)
と見る説もあるそう(平田篤胤・舞鶴図書館になく未確認)。コジツケのようでもあり、だいたい当たっているようでもある。遠い過去のことであり、確かなものは何もないので、大先人でも、こんな手かがりから推測している。こうした手ががりのようなものを「エエかげんなハナシ」と斬って捨てれば、何物も手元には残らなくなり、過去のことは不明となってしまう。
天香具山命はただ金属(銅)だけでもない、ただ天日槍だけでもない。

越後一宮弥彦神社 弥彦神社
公式サイトに次のように書かれている。
御祭神 天香山命は高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し上げ、皇祖天照大御神の御曾孫(ひまご)にあたられます。父神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、母神は天道日媛命(あめのみちひめのみこと)で、天孫降臨に供奉して天降られました。
天香山命が、紀伊国熊野神邑に御住まいの頃、御東征途上の神武天皇を始め皇軍将士は、熊野荒坂津にて敵の毒気により昏睡に陥りました。この危機を救うべく、天照大御神と武甕槌命は天香山命に韴靈剣(ふつのみたまのみつるぎ)を神武天皇に献ずるよう夢の中で告げられました。韴靈剣とはかつて武甕槌命が国土平定に用いられた威力ある霊剣です。夢告に従い天香山命が昏睡している神武天皇に韴靈剣を献じたところ、霊剣の威力によって神武天皇を始め皇軍将士は忽ち昏睡から覚醒し、敵を撃破されました。天香山命の韴靈剣献上の大功により危機を乗り越えた皇軍は、その後次々と蛮賊を平定し、大和国に入られた神武天皇は、橿原宮で初代天皇として即位されました。
神武天皇即位四年(西暦紀元前657年)、天香山命は越の国平定の勅を奉じて日本海を渡り、米水浦(よねみずがうら・弥彦山の背後・長岡市野積)に御上陸されました。当地では住民に漁業・製塩・酒造などの技術を授けられ、後には弥彦の地に宮居を遷されて、国内の悪神凶賊を教え諭し万民を撫育して、稲作・畑作を始め諸産業の基を築かれました。
天香山命は越後開拓の祖神であり、またその御事績から、人々の魂・生命に溌剌とした活力を御授けくださる神様と言えましょう。

天香山命はこの地方を開き、住民に漁労、製塩、農耕、酒造等、諸産業の基を築いたといい、また片目だといい、近くには銅山跡がある。カゴとかカルは銅をいう古代朝鮮語であろう。今はカネといえば鉄だが、古くは銅であったと見られる。
記紀ばかりでなくアチコチの系図や神社由緒に見えて、何が何やらの神様だが、名は銅の金工神で、それだけではなく、水稲など弥生文化を代表する渡来人の神様のように思われる。この神を奉じた渡来人たちがやってきて、その地を開いていったものと見られる。

天香具山があるので、当地舞鶴でも、この神が祀られていたと見て、その別名とされる手栗彦命の名から、田造、田邊の地名が生まれたのではなかろうか。
天香具山命、手栗彦命を祀る社は今は当地にはない。しかしその分身というか、後世の変形らしい豊受大神や大宇賀売命を祀る笶原(やはら)神社や朝禰(あさね)神社がある。


笶原神社

エバラと読んではいけませんよ、ヤハラですよ、と言うのだが、本当はそれもエエかげんなことで、本当はシハラと読むのが正解と思われる。今の愛宕山もシハラ山であろうか。
「伊去奈子嶽から天香語山命が矢を発つと、矢原山に到り、根が生え枝葉青々となった。それで其地を矢原(矢原訓屋布)と云う」の神話から矢(笶)の字を当てたものか、矢はシと読めるので、本当はシハラでなかろうか。シハラはソフルのことで、新羅や伽耶のことである。当地を拓いた人々の出自を物語っている。

朝禰神社(喜藤大明神とも)

今は倉谷にあるが、朝禰・朝代は九社のうちであり、元々は田邊郷高野の千石(せんごく)山にあったとワタシは推定している。

千石はチシと読むのが本来の呼び名でなかろうか。

おおい町に父子(ちちし)の地名があり、式内社の静志神社がある。祭神は天日槍と見られる。チもシもズもシハラのシ、新羅のシであろうか。
いずれも元々は天日槍や天香具山命を祀った社と見ても大きな間違いはなかろう。









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 精神に翼をあたえ、創造力に高揚を授ける、音の宝石


   Chopin - Etude Op.10 No.12 "Revolutionary"


(702) 4K - 革命のエチュード - ショパン - 高音質 - Etude Op.10 No.12 - Chopin - ピアノ - piano - CANACANA - YouTube
(702) Evgeny Kissin - Étude Op. 10, No. 12 in C minor 'Revolutionary' - YouTube
(702) 辻井伸行さん ショパン 革命 - YouTube
(702) ショパン革命(解説付き) - YouTube

関連情報

放送の合間にこんな曲が流れます
(726) 南沙織/色づく街 - YouTube
(726) 冬が来る前に (演奏音多重化) 紙ふうせん - YouTube


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