丹後の地名プラス

そら知らなんだ

九社神社と加佐(笠)
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -5-)


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そら知らなんだ ふるさと丹後
シリーズ


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九社神社と加佐(笠)
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国分寺創建②
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丹後の古代寺院①






少年易老学難成、一寸光陰不
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。



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『丹後の地名』は、「FMまいづる」で月一回、「そら知らなんだ、ふるさと丹後」のタイトルで放送をしています。時間が限られていますし、公共の電波ですので、現行の公教育の歴史観の基本から外れることも、一般向けなので、あまり難しいことも取り上げるわけにもいきません。
放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。

九社神社


九社神社
『舞鶴市史』は次のように書いている。
 西地区には、九社明神といわれる神社があった。九社明神とは九つの神社の神々を指す言葉で、このことについて触れている文献は、いまのところ享保十六年(1731)の「丹後国加佐郡寺社町在旧記」が古く、ついで、享保二十年の「丹後旧事記」があり、「一、郷中古来より九社明神と云有」として神社または神名および所在地を列挙している。しかし、数ある神社のなかから九社だけをいかなる理由で選び、いかなる待遇を与え、何を行ったのか、また、この意味するものは何か、などいずれも究明されていない。
 女布の日原神社の「御旅所略縁起」(明治十二年第五組戸長役場写)によれば、「天武天皇白鳳元年に九会神事が始り、毎年、御祓川上流の山崎川原に九社の神輿を集めて祭典を行ったが、慶長十六年から十八年(1611-1613)までの三年間は、七日市より神輿が進まず、やむなく日原神社の元の御旅所の下森を仮祭場としたことから、以後そこを祭場とした」といい、また「九重神社略記」(七日市)も、ほぼ同様のことを伝えている。これによると「慶長十八年(1613)に八咫笶原宮の祝部海部正之が九会神を下森に祀ったところ、流行していた疫病がやんだ」とも書いている。
 この「縁起」にも日原神社神主大谷美正の署名があるが、「略記」とともに原本未見のため正確に資料批判することが出来ないが、疑問点も多い。ただ、享保以前から九社明神として、他の明神に比して何か特別な扱いを行っていたことは十分にうかがえる。参考のため左にこれを掲げる。


 書名/所在 丹後国加佐郡寺社町在旧記  丹後国加佐郡旧語集  九重神社略記 日原神社御旅所略縁起 現神社名称
喜多 宮崎九社明神 宮崎九社明神 速秋津姫神 同上 宮崎神社
吉田 九社明神 九社明神 保食神 同上 奥上神社
青井 胆吹大明神 胆吹明神 伊吹戸主神 同上 結城神社
公文名 笠水神社   笠水彦神
笠水姫神
同上 笠水神社
京田 太刀柄尾明神 手力雄明神 手力男神 同上 幸谷神社
十倉 一宮九社明神 一ノ宮 天照皇太神荒御魂 同上 山崎神社
引土 八幡九社明神 九社明神 大己貴神 同上 八幡神社
倉谷 朝祢明神       朝祢神社
田辺町 朝代大明神   伊奘諾神 同上 朝代神社
女布   日原明神 天日腹大科度美神 同上 日原神社
女布   下森明神     下森神社

九社とは九つの神社の意味ではなかろう、それは発音の表記に当てられた、たまたまの漢字の意味である。古社は漢字の意味を採ってはならない。

綾部市西坂にも九社神社がある。大江町側に越える枯木(からき)峠のあるところたが、一社だけで九つも神社があるわけでなく、おそらく古くはこのあたりには枯木(おそらく加羅村(からき))村があり、その鎮守社と思われる。枯木は新羅・加羅系の天日槍系の人々の村であり、九社というのはクシフル(()ソフル)のクシをこのように漢字表記したものと推測される。




九重神社

上のリストにはないが、万願寺に七日市の鎮守社・九重神社がある。ココノエ神社と呼ばれることが多いようだが、正式にはクジュウ神社であろう。九社にとっては重要な神社である。
『舞鶴ふるさとのやしろ』
七日市はその名の通り、七の日に市が開かれるこの方面の経済的中心地で、村々の氏神の神輿がここに結集する「九会神事」が催される御旅所があり、それが九重神社の前身と思われる。その場所は、昔は今の関電変電所付近だったが、水害で今の場所に移ったとの説もある。慶長年間の大水害後、伊佐津川の大瀬替えが行われ、真名井の清水から笠水神社方向に流れていた池内川と真倉川を九枠の石垣でせきとめて合流させ、伊佐津川として東の山寄りに流すことにしたため、お宮の位置が、七日市の集落からは川向うになったとも考えられる。
 同社の祭神については、九社明神ではなく、出雲系の大国主神の子孫の九柱の神とする説がある。七日市の九会神事は中絶して、女布の下森神社に移され、現在の九重神社は、笶原神社の神主海部正之が「貝重神社」としてこの九柱神を祀ったというのだが…。


『中筋のむかしと今』
七日市は九重(くじゅう)神社です。万願寺地域にありますが、これはもともと一村だったのが、伊佐津川の瀬替えで分村したからです。正慶五年(一三三六)の東寺文書に具住宮とあります。「くじゅう」と読むのでしょう。.

「貝重神社」の「貝」は「具」の書き違えか読み違えでなかろうか。田辺郷はずっと郷で国衙領であり東寺の荘園であったことはないが、東寺に何か当社に関する文献が残っているのであろうか、正慶五年の東寺古文書を当たるが見当たらない。東隣りの大内郷には吉囲庄という東寺荘園があった、今の上安吉井のあたりという。

『神社旧辞録』
九重神神社 
この社は元は現九ツ橋の西袂(小字ナラズ柿)(宮知里に小塚在り)に鎮座あったが、慶長の伊佐津川瀬替の頃洪水決壊し社殿流失の難に遭ひ給ひ、遂に川向ひの満願寺境に留まられたので、その地に再建され現在に到るという。古来より九重の森社と唱え田辺郷九社明神の御旅所である。


御旅所「山崎川原」というのは、今の関電七日市変電所があるあたりになり、九社と称する諸神社はここを御旅所とする、「御旅所とは元の鎮座」の定理を当てはめるなら九会神事はここを元の鎮座地とする諸神社が集まった神事であろうと思われる。その御旅所に作られたのが九重神社だという。
だからこの一族はこの地を起点として北の方へこの神を奉じて広がっていったものであろう。

今は紺屋町にある桂林寺も元は当地のあたりにあったという。
桂林寺に「嵯峨根(坂根)系図抜粋」が伝わり、桂林院殿は宝徳元年(1449)没の坂根綱光(長門守修理亮)に付された法名で、桂林寺の創建は、孫の綱寛(延徳2年(1490)11月18日没、青松院殿寒山暁雲大居士)が開基で、祖父の菩提寺としているそうである。だから九社を祀った一族は坂根と名乗っていたのではないかとも十分考えられる。坂根・嵯峨根サンの元々はこのあたりになるのかも知れない。

下森神社は日原神社の元の鎮座地で、慶長の頃には九社内で中心的な地位にあったのであろうか、そうなら日原とはシハラであろうと推測できる。
九重近くの十倉神社(山崎神社・一宮九社神社)は先にも取り上げたが、ソフル神社である。九社や九重はその語と関連する名であろう。シフルに美称の()をつけたクシフル、九社も九重もクシフルのフルを略したと見てよいと思われる。大新羅の意味であろう。
クシフルは天孫降臨の超聖地の畏れ多い地名であると信じられてきた。まさかこんなイナカにその名があろうとは気が付かなかったのかも知れないが、こうしたことに触れた先人はほとんどない。天孫族(天皇族)も天日槍と近い関係にありそうに見える。

継体紀に任那の久斯牟羅(くしむら)、加耶の始祖王・首露王が天降ったという亀旨峰(クシブル)、など彼の地にもこの例が知られる。にも、というか、彼の地こそが発祥地であろうが、こうした流れにある神聖な地の神聖な社と信じられていたと思われる。
与謝郡にも久志浜(くしのはま)(逸文風土記)・久志備之浜(くしびのはま)(『元初…』)がある、籠神社のあるあたりである。吉佐宮も久志浜宮(くしはまのみや)といい、ヨサもこの系統の地名とわかる。
豊宇加能売の比治山(ひじやま)あるいは咋石山もこの系統の名であろうか。
天孫降臨の日向のソの高千穂の山は、一書ではクシフル、クシヒ、ソホリ、あるいは単にソ、あるいはシホとも呼ばれていて、クシヒ=クシもこの系統の地名であり原義はソフル(新羅)であろうと推測されるのである。
西舞鶴も天日槍が開いた土地であったと見て大きな間違いはないであろう。


笠水神社


笠水神社

九社の中に笠水神社がある。笠水は真名井のことである。与謝郡でいう久志備之真名井である。九社の真名井の九社のクシが母音転訛してカサの真名井といったのであろう。

『丹後風土記残欠』
笠水(訓宇介美都)。一名真名井。白雲山の北郊に在る。潔清は麗鏡の如し。たぶん豊宇気大神の降臨の時に湧出た霊泉であろう。其深さは三尺ばかり、其廻りは百十二歩である。炎旱に乾かず、長雨にも溢れない、増減を見ない。其味は甘露(中国で帝王が仁政を行うと、天が感応して降らすと考えられた甘い水)の如しで、万病を癒す麗機がある。傍らに二つの祠がある。東は伊加里姫命或いは豊水富神と称する。西は笠水神即ち笠水彦笠水日女の二神である。これは海部直等の祖神である。(以下五行虫食)

残欠はウケミズと読むがそれはムリであろう。残欠が書かれた時にはすでに笠水(真名井)はあり、このような書かれていたのであろう、その意味がわからず、ムリにそう読めといっているようである。真名井はウケイともいう、だからウケミズと考えたのかも知れないが、九社の地だから、その転訛もありうる、笠水はカサミズと読むのが正解と思われる。真名井は豊宇気大神降臨の時に湧き出た霊泉だろうという、真名井は江戸期になってから田辺城主によって飲料水用に掘られたなどという今時のハナシよりははるかにマシではある…
笠水神社は今の位置ではなく、真名井の西の傍らにあり、笠水彦と笠水姫を祀っており、これは勘注系図に見られるように海部氏の祖神になり、天香語山命の裔である。


真名井(公文名・七日市)の一升池↑(真名井は今は3つに分かれている)
電車が走っている方向が西である、その先あたりに笠水神社があったという。

笠水彦の後裔になる笠氏がここにいたのでなかろうか。平安期のことになるが、浦入遺跡の製塩土器支柱に押された刻印「笠百私印」の笠はあるいはこのあたりの人であるかも知れないことになる。
また、それよりもずっと古く、笠評君(かさのこほりのきみ)が知られる。法隆寺献納金銅仏、観音菩薩立像(東京国立博物館所蔵、重文)には、台座框の側面に次の刻銘がある。
辛亥年七月十日記笠評君名□古臣辛丑日崩去辰時故児在布奈太利古臣又伯在建古臣二人志願
「□古臣」は「左古臣」とも「太古臣」とも読まれている。銘文は辛亥年に没した「笠評君□古臣」のために、その子の「布奈太利古臣」と伯父の「建古臣」が発願して造像したと解される。辛亥年については、西暦591年とする説と、60年後の651年とする説とがあった。「評」の用例は591年(崇峻朝)にはまだ見られないことから、651年作とするのが定説となっている。大化を改元した白雉2年であり、蘇我氏が滅び、白村江の少し前といった時代である。この「笠評君(かさのこおりのきみ)」は加佐郡の人とする説がある。勘注系図には何もそうしたことは記されていない、君とすれば直より上位の姓でなかろうか、皇別と呼ばれる氏族が多いが、今に伝わる史料や文化レベルからはどうひいき目に見ても当地の人とは考えにくいのではある。しかしもしかすると、この時代に中央とつながり、仏教をいち早く理解した笠評君が当地にいたということかも知れない。
古文書や伝説からは、笠水彦・姫、笠津彦・姫、笠彦、姫といった人物が知られる。彼らの本貫地はこの辺りではなかろうか。
また加佐郡のカサもこの辺りをいったものかも知れない。この地は加佐郡の中枢であったのではなかろうか。








音の玉手箱 精神に翼をあたえ、創造力に高揚を授ける、音の宝石

Μισιρλού :Misirlou:ミシルルー、ミザルー(エジプト娘)
2004アテネ・オリンピックの閉会式で歌われた時の様子。


ギリシャとトルコが自分の国の歌だと主張している、オリエントな旋律なので、どこかそのあたりであろうか、いつどこでだれが作った曲かは不明、ミシルルー(エジプト娘)にココロが狂うという今の歌詞はギリシャ人が作ったそう。いろいろなバージョンがあり、誰も一度は耳にした曲であろう。
(15) Μισιρλού - Έλσα Μουρατίδου - YouTube
(15) Κατερίνα Τσιρίδου - Μισιρλού (Στην υγειά μας 20.1.2018) - YouTube
(6) MISERLOU - William Joseph & Caroline Campbell (feat Tina Guo) EXPLOSIVE cover from Pulp Fiction - YouTube
(40) Misirlou - Amadeus Electric Quartet & Band - YouTube
Misirlouはクレオパトラの末裔、気が狂わねばおかしい。

甘い視線が私の心を炎にする。デビルなエキゾチックなとろける美しさ。私の気は狂う。もう耐えられない…、と歌う。


歴史は二度繰り返される、とヘーゲルがどこかで述べているそうである、東京オリンピックもそうかも知れない。だが、ヘーゲルは書き忘れたか、「二度目は茶番」だとマルクスはどこかで述べていた。さすがにものすごい歴史哲学であろう。
もう一回やればいいというものではない。オリンピック精神と歴史を踏まえて、まじめに過去を克服しシンケンに新世紀を切り開く気概で取り組まないと全世界から笑われて終わり、何も残らない大会となる。二度目となるとそうした精神の高揚がある社会の熱気、それを良き方向へと仕切れる人物がそろえられるか。
「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」とかの大会開催のビジョンがあったはずだが、ガクっと質が落ちて悲しいかな「女は話しが長い」。これほどにもオリンピック精神から、ビジョンからも外れに外れまくった、茶番以下のそこらのオッサンの発言レベルはオリンピック史上マレではなかろうか。二度目はこれほどにもくだらぬ社会と精神に成り果てる、茶番も笑うようなことである。巨額の税金投入して、茶番の茶番による茶番のためのオリンピック。まじめな国民やアスリートのためにはなりそうにもない。津波や原発事故からの復興再出発とかも副ビジョンにあったのではなかったか。しかしどこかの市議会などは大会の趣旨など何も意識もしていそうにもないではないか。ホストはよいとしても肝腎の津波も原発事故もそのウスい腐ったアタマの片隅にもありそうにもない。クソ議員どもよ税金のカネ返せ。
問題はオリンピックだけではない。Mr.Moriだけではない。どの分野もMr.Moriしかいない国になってしまっていないか。自分ではもう気が付かないだけなのかも知れない。すべての分野で責任者の大量解任が求められているのかも知れない。
ワクチンに見られるように世界からは周回遅れで、古い偏見も克服できず、原発や津波のように大問題をウヤムヤのままに放置する社会では未来が開けるはずもなかろう。当たり前のことながら、一人ひとりのニッポン人がしっかり立ち直らない限りは、千回オリンピックを開催しようとも日本社会に未来は見えまい…
日本の男女格差を示すジェンダーギャップ指数が153ヵ国中121位で、主要先進国とか言われる国々では最低のレベル。国際社会から取り残されたガラパゴス社会である。島国根性で勝手に思い上がるだけで、ほかの国々に謙虚に学ぶ姿勢を持たないとますますサルとなる。ちなみにギリシャは84位であった。





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資料編の索引

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丹後・丹波
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市町別
 
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