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母系社会と「妹の力」
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![]() 放送ではじゅうぶんに取り上げきれなかったところを当HPなどで若干補足したいと思います。 母系社会と父系社会 母系社会は、母方の血縁関係を基盤として家族や集団が組織され、世系(血統)や財産の継承が母から娘へと連なる社会制度・組織を指す。初期の母系社会では、原始共産制や平均分配が行われ、農業や牧畜の発展に伴い女性の地位が向上し、原始的な母系社会が形成された。集団の統率権は母の兄弟(伯父・叔父)などが持つことが多かったが、現代の父系社会(父から息子へ)とは対照的な制度である。 人類(ホモサピエンス)の最初が「母系社会」であったかどうかについては、学説が時代とともに大きく変遷しており、現在は「必ずしもそうとは言い切れない(多様であった)」という見方が有力になっている。 かつての定説では「最初は母系だった」。19世紀の文化人類学(L.H.モーガンやF.エンゲルスなど)では、人類はまず母権制(母系社会)から始まり、その後に父権制へ進化したという「単系進化論」が信じられていた。根拠としては、 父親が誰かを特定するのが難しい原始的な集団では、確実な「母親」を軸に血縁が組織されたと考えられたため。 神話や象徴から、 世界各地に残る「ヴィーナス像」などの女神信仰も、古代の女性優位を裏付ける証拠とみなされていた。 現代の説では「多様かつ双系」。 20世紀以降の研究では、「全ての社会が母系から始まった」という説は否定的な意見が多くなっている。これは 現代の狩猟採集民を調査した結果、父系、母系、あるいは両方を重視する「双系」など、環境に応じて多様な形態をとることが分かったことによる。 最新の遺伝学的研究や生物人類学によれば、初期人類は「母系的な親族集団」で生活していた可能性も示唆されているが、それは「女性が支配する社会」という意味ではなく、共同での育児や生存戦略として母方のつながりが機能していたという解釈が一般的である。 なぜ父系に変わったのか?農業が始まり、土地や家畜などの「私有財産」が発生したことが大きな転換点とされています。自分の財産を確実に「自分の子」に引き継がせるために、女性を囲い込み、血統を厳格に管理する父系社会への移行が起きたという説が有力。 人類の最初が「母系一色」だったわけではないが、農耕定住社会になる前は、現在よりも母方の血縁や女性の役割が社会の基盤としてずっと柔軟かつ重要であったことは間違いないと見られている。 縄文時代などの古代日本は、産屋が重視されるなど、母系の出自を基本とした社会であったとされる。 母系の名残は、現代の家族のあり方や、特に子育ての現場における母親の役割の重さなど、無意識のレベルで引き継がれている文化的な遺産と言える。 母系社会の主な特徴 血縁の重視: 母から娘、娘から孫娘へと血縁が継続し、その関係が社会の基本単位となる。 世系と財産の継承: 氏族の血筋や財産は母方の系統で受け継がれる。 婚姻形態としては、 初期は群婚、後に夫が妻の元(母系氏族)に住む対偶婚へと発展した。 集団の統率は、 地位や財産の支配権は、母の兄弟(母方のおじ)などに与えられることが多く、女性が優位とは限らない。 旧石器時代後期に形成され始め、新石器時代に繁栄したと考えられ、原始社会の初期段階とされる。 日本の歴史的背景や現代社会に見られる母系の名残と見られるもの。 歴史的・文化的背景(古代〜中世) 妻問婚と通い婚 平安時代頃まで主流であった、男性が女性のもとに通う婚姻形態。夫婦は同居せず、子供は母方で育つことが多かった。 「夜這い」。 夜這いの風習は地域によっては昭和30年代まで存続していたという。 舞鶴あたりでは大正の頃迄は残っていたようである。 『倉梯校百年の歩み』 友二郎 風紀の矯正などにもとりくみました。自分が団長のころ、「夜這い」の風習をなくするのにも努力しました。これが矯正されたのはこのあたりでは早い方やったと思います。 友二郎氏は明治38年度卒業とあるので、団長だった時代は大正の頃かと思われる。 また、夜這いは社会身分や貧富の格差が大きい村では盛んにならなかったという。 夜這いの原義は「相手を呼び続ける」という意の「呼ばふ」が「呼ばひ」に変化したもの。万葉仮名では「よばひ」に「結婚」という字が当てられている例があり、「呼び続ける」意の中に「求婚する」という気持が含まれていることが窺われる。 こもりくの たな曇り 雪は降り来 さ曇り 雨は降り来 野つ鳥 さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝む この戸開かせ (巻13-3310 作者未詳 山々の奥深いこの初瀬の国に 妻どいにやってくると 急に曇って雪が降ってくるし さらに雨も降ってきた。 野の鳥、雉は鳴き騒ぎ 家の鳥、鶏も鳴き立てる。 夜は白みはじめ とうとう夜が明けてしまった。 だけど中に入って寝るだけは寝よう。 さぁ、戸を開けてくだされ ) こもりくの 泊瀬小国 よばひせす 我が 奥床に母は 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明けゆきぬ ここだくも 思ふごとならぬ (巻13-3312 作者未詳 山深いこの初瀬の国に 妻どいされる 天皇よ 母さんは奥の床に寝ていますし 父さんは入口の床に寝ています 体を起こしたら 母さんが気づいてしまうでしょう 出ていったら 父さんが気づくでしょう そのように躊躇ううちに夜が明けてきました なんとまぁ こんなにも思うにまかせぬ隠り妻であること。この私は) 川の瀬の 石踏み渡り ぬばたまの 黒馬来る夜は 常にあらぬかも ( 巻13-3313 作者未詳 黒馬に乗り、川の瀬の石を踏み渡ってお出でになる夜は 毎晩あって欲しいものですわ) 天皇さんも神様も夜這いであった、これが当時は正式の婚姻であったのであろう。 財産相続のあり方 平安時代の貴族社会では、財産(家財や土地)は娘(妻)に引き継がれることが一般的であり、妻の実家が子供の養育に関与した。 妹の力万葉集にみられる霊的守護母の系統の繋がりが重要視され、女性の呪術的霊的な守護が家族を守るという考え方(霊的守護)が残っていた。 たらちねの 母を別れて まこと我 旅の仮廬に 安く寝むかも (巻二十・4348 日下部三中 おっかさんの手元をお別れして 本当に俺は旅の仮小屋で不安なく眠れるのだろうか) 妹の力(いものちから)は、古代日本における女性の霊力に関する一種の呪術的霊的な信仰である。 柳田國男が著作『妹の力』において論述した。 ここでいう「妹(いも)」は、母、姉妹、伯母や従姉妹等の同族の女性、妻、側室、恋人など近しい間柄の女性に対する呼称をさす。 古代日本において、男性は政治、女性は祭祀をつかさどる存在であり(ヒメヒコ制)近親者や配偶者となった男性にその霊力を分かち与えることにより加護を与える存在とされた。 『古事記』『日本書紀』において妹の力に関する記述は枚挙にいとまがない。毒虫や蛇から恋人を守るスセリヒメの比礼や、敵の目をごまかし甥の本性を隠して命を守るヤマトヒメの衣装、神託に従い使命を果たすため妊娠中でありながら出産を延期させ無事に誉田天皇を生んだ神功皇后の月延石などがその代表格である。彼女達は皆高い霊力を持ち、その霊力をもって身近な男性の命を守ったとされている。 大陸との交流が盛んになり中国的な男性優位の思想が普及した後も日常生活にその名残は存続し、平安時代においては、たとえ身分の高い貴族の家庭であっても特に正月に新調される主人の衣装はその正妻が製作の采配をとるのが理想とされた。これは、妻である女性の霊力が衣装製作の過程で衣装に移り、男性を守護するとされた名残であるといわれる。江戸時代になっも博打打などが強運を約束する護符として、妻や恋人の髪や陰毛を守り袋に入れて持ち歩いたとされる。女性の髪はサイコロなどと共に船霊の依り代になった。太平洋戦争時には千人針が盛んに行われ、母親や姉妹など近親の女性からやはり髪などを受け取って出征した兵士が多かったといわれる。 船霊様 船霊さまは、船大工が船を新造したときに納める神さまのこと。そのご神体は、地域によって様々で、男女一対の人形、五穀、銭、サイコロ、女性の毛髪を入れるのが一般的である。船霊さまは、女性の神さまと伝えられることが多く、大漁祈願や航海安全がご神徳とされている。 千人針 千人針は、第二次世界大戦まで日本でさかんに行われた、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る祈念の手法、および出来上がったお守りのこと。武運長久、つまり兵士の戦場での幸運を祈る民間信仰である。 『朝日クロニクル20世紀』千人針は手拭いほどの大きさの白木綿の布に、千人の女性の手で一針ずつ縫って赤い糸の結び目を付けたものである。戦地に向かう兵士がこれを身につけていれば、敵の銃弾から逃れることができると信じられていた。この風習は日露戦争のときに関西で流行したもので、そのころは「千人結」と呼ばれた。それが「千人針」として再び全国に広まったのは、満州事変のころからである。 赤紙と言われた召集令状を受け取った男たちの母や妻、姉妹たちは、隣近所の女性に頼んで糸を結んでもらった。身内の者以外でも、国防婦人会、愛国婦人会、大日本連合女子肯年団なども積極的に千人針づくりに参加した。妻や恋人、姉妹たちから無事帰還の祈りをこめて贈られた千人針を、兵士は肌身離さず大切にもっていたのである。千人針には「死戦(4銭)をこえる、苦戦(9銭)を免れる」という縁起をかついで、5銭や10銭銅貨を縫い付けたものもあった。 また「虎は千里を走り、千里を帰る」との故事から、寅年生まれの女性は、その年齢の数だけ結び目を縫ってもいいとされ、特に頼まれることが多かった。そのため内職や家事、農作業などに忙しい寅年生まれの女性のなかには、自分の干支を隠すものもいた。 日本の皇室や神話における名残 太陽神アマテラス:皇室の祖神が女神(天照大御神)であることは、古代日本の精神的支柱に女性性が強く関わっていた名残とされる。 推古天皇などの女性天皇: 古代には女性天皇が数多く存在した。これは、父系・母系の両方を重視する「双系制」に近い社会だったことの証左でもあるといわれる。 丹後でも最高神は豊受大神で女神である。 奄美・沖縄地域では、伝統的に女性の霊的な力が男性(兄弟・えけり)を守るという「おなり神」信仰が強く、女性中心の親族関係や、祖母・母が中心となる家系管理が行われてきた。 日本本土においては、宗教的な権能を持つ卑弥呼と世俗政治面で支配していたその弟という組み合わせが姉妹の霊が兄弟を保護するという信仰に近いと指摘されることもある。 現代の日本では明治民法以降、父系(男系)を中心とした「家制度」が強く浸透したが、それ以前の数千年にわたる母系的なエッセンスは、今も私たちの無意識や風習の中に溶け込んでいる。 世界の母系社会の事例 モソ族(中国・雲南省): 「最後の母系社会」とも呼ばれ、女性が家庭の全権を持ち、子供は女性側で育てる。男性は妻方へ通う「通い婚(走婚)」を行う。 ミナンカバウ族(インドネシア・スマトラ島): 世界最大の母系社会。土地や家屋は女性が相続し、男性は成長すると外へ出て働き、家庭内では女性が強い発言力を持つ。 カシ族(インド・メガラヤ州): 末娘が家督と財産を相続する慣習がある。 マーシャル諸島(オセアニア): 母系の出自、母方居住、母系相続が基本で、親族集団が母方中心に編成されている。 母系社会が存続する環境・背景 母系社会は、以下のような要素を持つ場所で形成・存続しやすいとされている。 移動の少ない農耕社会: 女性が主に家事や小規模な農業を担う。 戦争の少ない地域: 男性の腕力が絶対視されない。 資源の少ない閉鎖的な環境: 大家族で協力し合う必要がある。 民俗学的に見ると、母系制は単に相続ルールの違いだけでなく、女性が家系を継続させる誇り高い存在として尊敬される社会構造を持っている。 氏族社会 氏族制度 氏姓制度 父系になるので、後に取り上げる予定
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資料編の索引
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