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『丹後の地名』へようこそ!
地名は現代人の盲点の一つ。「丹後の地名」も苦労はしても、意味の説明のできないものが多い。ご先祖がつけた地名なのに、なぜこんなことになったのだろう。私にも特にわかるわけではない、何でもそうだが世の中わからぬ事だらけ、しかし何か手掛りを求めての模索の旅日記です。 地名は民衆が残した口承史料、彼らと呼ぶか我らと呼ぶか、丹後の地名が読み解ければ、丹後の真実の民衆史、我らの郷土史が編めるかも知れない。しかし誰も未だ成功したことはない。 至る所工事中だらけで申し訳もない、難工事の連続で、本当はまだ世に出せるものではありませんが、そこそこに出来るまで草稿を書いていたら、いつになったら公表できるか見当もつきにくい、未完成のままでも暇をみつけて少しずつ書き足しながら、いつの日にか完成させたいと思っています。このやり方がHPではできる、ズボラ者にはもってこいのメディアかも知れない。一人でやっております、追加や更新がまったく思うように進みませんが、どうかよろしく。 当初は5年もあれば出来ると考えていました、やってみればとんでもないことで、いまだに道けわしく旅なかばで、まだまだかかりそう。こんなものでも何もかもを合わせればすでに710万を越すアクセスがあり、そうした大きなありがたい励ましにいよいよ先をめざしてがんばりたいと考えております。 丹後王国の根拠地ばかりでなく、その周辺の地名も調べてみたいと思い、他国へも越境する予定。 |
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岩波書店様の書籍にはずいぶんとセワになってきたが、私のものが掲載されている書籍は初めてのこと。写真だけれども、中にあるから覗いてみて… 北山修氏といえば、オラ死んじまっただ、くらいしか知らなかったが、医学博士で、さらには民俗学もやっておられたのか。エロっぽい所もあるが、民俗学では避けようもない。興味あれば読んでみて下さい。 −活動再開− 3/31まで町内会長の任にあった、200世帯で役員は6名、みなかんばってくれる人達で、毎年同じことの繰り返しではあるが、それでも会長となると雑用なども多く、気を抜くこともできなかった。任を終えてようやく元に戻ることがてきる。 昔からの懸案などは手を付ける余裕なく先送りにしなければならなかった、自治会が抱える問題の多くは1年では解決できそうにもなかった。 町内から火がでた場合、「ワシは忙しいで、手伝いはできん、誰かほかの人に頼んでくれ」とか「あいつは嫌いだ、もっと燃えろ」とか、を言っていえば、火は燃え広がり、やがては自分の家が燃えてしまう。町内ごと、社会ごと全般というのは端的にいえば、そうしたことである。ヨソごとではない。何でもない自分のことであり、自分のことだから自分で責任もつ、頼まれれば拒まない、そうしないと自分も困るし、みなが困るという自治精神で成り立っている。 若い世代は意外とこうした精神がある。ワタシら世代がダメで、そうした考え方が弱い、も一つシャンとしない、わかっていない。どこかのクソ市議会がよき見本である、市の長老ともあろう年代者がとうとう子供イジメまでしだした、その主張の支離滅裂ぶりアホクサぶりはサルが笑う、未来明るくよき町になるだろうとはダレも思ったりはすまい。何しても自由やろ、と思っている。そうした腐った自由があるわけがなかろ、社会の一員としても、後に続く世代への責任からも逃れられまい。ネゴトを言っている時ではなかろ、ワレラは子供には責任を負っている。何のつもりか知らんが子供の前だぞ、ワルふざけでもヤリすぎるな。(※その後取り下げて中学給食無償化がようやく実現したという。オオキニオオキニ) (京都府下15市では初めてだそう。かつては「革新の牙城」と呼ばれた1000年のミヤコの地である。周回遅れ・迷走・逆走ばかりのヘキチ舞Iベタコに信じられないような進歩が発生し、今や栄光のドップランナー。まだ一部ではあるが、誇ってよいぞ、舞I人よ。走り続けよう、歴史を引っ張ろう、世界を引っ張ろう、この調子だ) 町内会だって同レベルである、教育だから高くつく、しかしそうしなければ未来はない。自分だって、そうして地域や周囲の人々の大変な世話になりながら大きくなってきたのだろ、そうして一人前になれたのだろが、今度は立場変わって、自分が世話する側になれば、それはイヤだという、協力金が高いと言う、自分の子供時代を忘れている、高い金を出し合って自分を育ててくれた事忘れ、ヘッサラで堂々と言いよる、登校指導に当たっておられるジイバア達の姿を見ているのか、そうした体験の持ち合わせがないのか、子がオイオイ泣くぞ、クソだと言われるぞ。 集会にやってきても若い世代の顔が光っている。これで日本は救われると思ったことが何度もあった。 日本をクソにした責任の多くは意外にもワレラ世代、その前後2、30年くらいの世代にあったかも知れないな、と思ったようなことであった。 恩を忘れ、恩を返さない、何も社会活動などしたことがない、どこか一人前の社会人としては一本欠けてオカシイ、社会のリーダーとか長老とかになれたりはしない、これでは未来があるはずはない。 イヤそんな事はない、ワシはがんばってきた、などという人があれば、タマにいるが、ごくろうさん早く引退して下さいと、クソにいってあげよう。 若い人見て我ふり直せ、である。ワタシなどが若い頃は、年寄りが「オマエ見とると恥ずかしなるわ、ワシら世代はあかんな」などと言ったが、それは何時の時代でもそうなのであろう。 ワシらがみんな死んで、それで初めて戦後時代が終わり、新しい日本が生まれるだろう、と語る人があったが、至言だとおもう。
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桜さく与保呂川。千本桜が満開(茅屋から)4/6↑ 上の「ナビゲーション・バー」あるいは、右段のサイト内検索、あるいは下のリンクなどから入って下さい。 もっと見たい人は↓ 気比神宮@(歴史概況) 神明山古墳(そら知らなんだ-80-) 網野銚子山古墳(そら知らなんだ-79-) 蛭子山古墳(そら知らなんだ-78-) 日本海側の古墳(そら知らなんだ-77-) 舞Iの古墳A(そら知らなんだ-76-) 舞Iの古墳@(そら知らなんだ-75-) 青年団(そら知らなんだ-74-) 小中学校(そら知らなんだ-73-) 子供組(そら知らなんだ-72-) 産屋(そら知らなんだ-71-) 伝承郷土芸能E(そら知らなんだ-70-) 伝承郷土芸能D(そら知らなんだ-69-) 伝承郷土芸能C(そら知らなんだ -68-) 伝承郷土芸能B(そら知らなんだ -67-) 第9回古代丹波歴史研究所研究会 2023浮島丸追悼集会 伝承郷土芸能A(そら知らなんだ ふるさと丹後-66-) 伝承郷土芸能@(そら知らなんだ ふるさと丹後-65-) 城屋の揚松明2023 福知山聯隊の最後Cインパール作戦と15師団(そら知らなんだ ふるさと丹後-64-) 福知山二十聯隊の最後Bレイテ戦と二十聯隊の全滅(そら知らなんだ ふるさと丹後-63-) 火祭A(そら知らなんだ ふるさと丹後-62-) 火祭@(そら知らなんだ ふるさと丹後-61-) 鹿蒜山・帰山 旧・東浦村 元比田 大比田 横浜 杉津 阿曾 挙野 五幡 江良 赤崎 田結 鞠山 大蛇伝説A(そら知らなんだ ふるさと丹後-60-) 大蛇伝説@(そら知らなんで ふるさと丹後-59-) 旧東郷村 池河内 新保 葉原 田尻 獺河内 越坂 樫曲 谷口 大蔵 余座 丹後のオニ伝説A(そら知らなんだ ふるさと丹後-58-) 丹後のオニ伝説@(そら知らなんだ ふるさと丹後-57-) 奥丹後大震災A(そら知らなんだ ふるさと丹後-56-) 奥丹後大震災@(そら知らなんだ ふるさと丹後-55-) 息長A(そら知らなんだ ふるさと丹後-54-) 息長@(そら知らなんだ ふるさと丹後-53-) 伊吹A(そら知らなんだ ふるさと丹後-52-) 伊吹@(そら知らなんだ ふるさと丹後-51-) 幻の倭文(そら知らなんだ ふるさと丹後-50-) 鳥取A(そら知なんだ ふるさと丹後-49-) 井川 中 高野 谷 鳥取@(そら知らなんだ ふるさと丹後-48-) 民族大移動の跡か!?(そら知らなんだ ふるさと丹後-47-) 旧・中郷村 吉河 坂ノ下 道口 古田刈 長沢 山泉 堂 鳩原 小河 小河口 旧・愛発村 杉箸 刀根 新道 奥麻生 麻生口 曽々木 奥野 拝師(速石)郷(丹後国与謝郡)@そら知らなんだ ふるさと丹後-45-) 拝師(速石)郷(丹後国与謝郡)A(そら知らなんだ ふるさと丹後-46-) 山中 駄口 追分 疋田 市橋 旧・粟野村 公文名 和久野 市野々 野神 山 野坂 長谷 御名 砂流 櫛林 莇生野 金山 関 田邊・田造郷A(そら知らなんだ ふるさと丹後-44-) 田邊・田造郷@(そら知らなんだ ふるさと丹後-43-)
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地名資料など、取り上げている地域は、旧丹後国すべてと旧丹波国の一部です。 京都府の北部ですが、全国的には認知度は低く、兵庫県とか福井県とかとわからない、まさか京都府とは、京都なら舞妓さんでしょ、舞妓さんがおってんですかぁ、などと言われるところになります。京都が強烈ですから、そのカゲになって、あるのかないのかかすむ所に位置します。 もっともっと見たい人は↓
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