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『丹後の地名』へようこそ!
地名は現代人の盲点の一つ。「丹後の地名」も苦労はしても、意味の説明のできないものが多い。ご先祖がつけた地名なのに、なぜこんなことになったのだろう。私にも特にわかるわけではない、何でもそうだが世の中わからぬ事だらけ、しかし何か手掛りを求めての模索の旅日記です。 地名は民衆が残した口承史料、彼らと呼ぶか我らと呼ぶか、丹後の地名が読み解ければ、丹後の真実の民衆史、我らの郷土史が編めるかも知れない。しかし誰も未だ成功したことはない。 至る所工事中だらけで申し訳もない、難工事の連続で、本当はまだ世に出せるものではありませんが、そこそこに出来るまで草稿を書いていたら、いつになったら公表できるか見当もつきにくい、未完成のままでも暇をみつけて少しずつ書き足しながら、いつの日にか完成させたいと思っています。このやり方がHPではできる、ズボラ者にはもってこいのメディアかも知れない。一人でやっております、追加や更新がまったく思うように進みませんが、どうかよろしく。 当初は5年もあれば出来ると考えていました、やってみればとんでもないことで、いまだに道けわしく旅なかばで、まだまだかかりそう。こんなものでも何もかもを合わせればすでに740万を越すアクセスがあり、そうした大きなありがたい励ましにいよいよ先をめざしてがんばりたいと考えております。 丹後王国の根拠地ばかりでなく、その周辺の地名も調べてみたいと思い、他国へも越境する予定。 |
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岩波書店様の書籍にはずいぶんとセワになってきたが、私のものが掲載されている書籍は初めてのこと。写真だけれども、中にあるから覗いてみて… 北山修氏といえば、オラ死んじまっただ、くらいしか知らなかったが、医学博士で、さらには民俗学もやっておられたのか。エロっぽい所もあるが、民俗学では避けようもない。興味あれば読んでみて下さい。
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上の「ナビゲーション・バー」あるいは、右段のサイト内検索、あるいは下のリンクなどから入って下さい。 −ちょっと、お知らせ− 8/4俵野廃寺跡碑除幕式 中山市長も見えられて、碑の除幕式が行われた。立派な碑の完成で、写真を写せのこと、久々に丹後へ行ってきた。 ←記念写真は ここからダウンロード (クリックで大きな画像が出る。大きな画像の上で右クリック。「画像を保存」で適当な所へダウンロードして、それをプリントして下さい) 俵野はこんな集落↓。現在35世帯、寺院はないとか。与保呂の谷筋よりもずっと狭い小さな谷であるが、この地は丹後王国が最後の光芒を放った地であろうか、この後に王国の存在を彷彿されるような遺跡はなく、やがて消滅したと思われる。 碑の前に水田がひろがるあたりに「俵野廃寺」があったという。 塔の礎石が巨大である。直径1.5メートルもある。七重塔があったという丹後国分寺の塔の礎石よりも大きい、しかもそれよりも古いという。 当地にはフツーには想定できないような立派な大寺院であった(失礼、たいへんよい集落で、村人様はノーブルな方々、よい村やなと感じました)が、何の文献資料もなく、口碑もない。ただ地名に痕跡らしきものがいくらかあるだけ。廃寺の本当の寺号もわからないが、丹波寺かも、あるいは俵野寺、木津寺、薬師寺、瑠璃寺、東光寺…かも (°°;) この当時の寺院は、庶民救済、悪人救済とかの思想はなく、いわゆる氏寺であって、それは氏族が、その一門の繁栄、先祖の追善、死後の幸福などを祈願するための祭祀施設であった。ソフト面では仏法を信仰する僧侶が住んで仏法経典の教義を学び伝授し、修行したり、また氏族の学問文化や芸能のレベルを高めようとする場でもあった、と思われる。 国分寺よりも古く、そうしたことができる氏族は、丹後王家しかありえないと思われるのである。木津というくらいだから、対岸交易の津の利益と、あとは売布神社の水銀と鉄か、 丹後王国ますますナゾとロマンだらけ…。 動画(ユーチュブにアップしてあります。) 詳しくは (まだ出来ていません( 。-_-。)) 国分寺創建A(そら知らなんだ-92-) 国分寺創建@(そら知らなんだ-91-) 第10回古代丹波歴史研究所研究会 仏教伝来A(そら知らなんだ-90-) 仏教伝来@(そら知らなんだ-89-) 2024浮島丸追悼集会 城屋の揚松明2024 玉砕の島A(そら知らなんだ-88-) 玉砕の島@(そら知らなんだ-87-) 敦賀空襲 津内町 平遺跡(そら知らなんだ-86-) 函石浜遺跡(そら知らなんだ-85-) 敦賀城 三島町 金崎宮・金ケ崎城 奈具岡遺跡(そら知らなんだ-84-) 大風呂南墳墓と赤坂今井墳墓(そら知らなんだ-83-) 金ケ崎町 栄新町 相生町 元町 神楽町 気比神宮A(祭神) 扇谷遺跡、他(そら知らなんだ-82-) 日吉ヶ丘遺跡、他(そら知らなんだ-81-) 気比神宮@(歴史概況) 神明山古墳(そら知らなんだ-80-) 網野銚子山古墳(そら知らなんだ-79-) 蛭子山古墳(そら知らなんだ-78-) 日本海側の古墳(そら知らなんだ-77-) 舞Iの古墳A(そら知らなんだ-76-) 舞Iの古墳@(そら知らなんだ-75-) 青年団(そら知らなんだ-74-) 小中学校(そら知らなんだ-73-) 子供組(そら知らなんだ-72-) 産屋(そら知らなんだ-71-) 伝承郷土芸能E(そら知らなんだ-70-) 伝承郷土芸能D(そら知らなんだ-69-) 伝承郷土芸能C(そら知らなんだ -68-) 伝承郷土芸能B(そら知らなんだ -67-) |
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地名資料など、取り上げている地域は、旧丹後国すべてと旧丹波国の一部です。 京都府の北部ですが、全国的には認知度は低く、兵庫県とか福井県とかとわからない、まさか京都府とは、京都なら舞妓さんでしょ、舞妓さんがおってんですかぁ、などと言われるところになります。京都が強烈ですから、そのカゲになって、あるのかないのかかすむ所に位置します。 もっともっと見たい人は↓
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